8月1日(月)から9月中旬(予定)まで、文書展示室にて、「テーマ展 昭和の復興」を開催しています。
昭和は、二つの復興を成し遂げた時代といえます。一つめは、大正12(1923)年に発生した関東大震災からの復興。そして、二つめは太平洋戦争からの復興です。震災と戦災、この二度の大きな苦難に遭遇しながらも、人々は希望と光を失わず、助け合い、誇りを持ち続けて復興していきました。 当館が収集した資料(絵葉書・雑誌・地図・蓄音機・レコードなど)を中心に、昭和の復興に関する資料を紹介します。幾たびの苦難に遭遇しながらも、互いに助け合って、次世代につないだ人々の姿を、資料を通じて感じ取っていただければ幸いです。
<展示構成>
1 関東大震災
2 関東大震災後の復興
3 昭和と戦争
4 戦後の復興
(1) 戦後の創刊雑誌
(2) GHQと雑誌
(3) 女性の解放と雑誌
(4) 映画・演劇・スポーツの復興
5 復興の象徴―東京オリンピックー
6 昭和とレコード
<主な展示資料>
(1) 蓄音機 (昭和初期) 個人蔵・当館寄託
大正デモクラシーによって大衆文化の象徴となった蓄音機です。昭和に入って家庭に普及し、戦後にかけて流行した歌などを奏でて、人々の心を癒しました。
(2) 大東京完成記念発行「大東京名所絵葉書集」(昭和7(1932)年 主婦の友社発行) 個人蔵・当館寄託
大正12(1923)年9月1日、関東大震災が起こりました。それから、わずか7年後の昭和5(1930)年に東京は復興し、コンクリート製の近代建築が建ち並ぶ美しい大都市となりました。完成を記念して発行された絵葉書
(3)テレビィファン(昭和13(1938)年 山中電気株式会社発行)個人蔵・当館寄託
昭和恐慌のため、日本経済は悪化していきました。昭和12(1937)年には日中戦争が始まりました。その翌年に創刊された雑誌。国内ではラジオが普及していて、テレビはまだ実用化はされていませんでした。当時まだ珍しいテレビを紹介する目的で発行されましたが、南京陥落直後だったため、中国で撮影された多くの写真を掲載しています。
(4) 李香蘭「夕月乙女」(昭和17(1942)年 コロンビア)個人蔵・当館寄託
作詞:西条八十。作曲古賀政男。昭和17(1942)年には、14歳以上の女子学生を動員する国民動員実施計画が決まりました。当時の人気歌手李香蘭が、厳しい現実とはうらはらに可憐な乙女心を歌っています。
(5) 句刊ニュース(昭和21(1946)年 東西出版社発行)個人蔵・当館寄託
戦後、家族や生活基盤を失った人々の心の支えは、次世代を担う子供たちでした。廃墟にたたずむ子供の写真と次のような詩を掲載しています。「子供を拝む 戦争は終わった 昨日は過ぎた 子供を拝まう 円光を負ふ子供を! 廃墟の土にひれ伏して 飢えと寒さと絶望の涙のすきまから 笑ひかける子供を拝まう」
(6)ベースボールマガジン(昭和21(1946)年 恒文社発行)個人蔵・当館寄託
戦争のため、プロ野球選手の戦死が相次ぎましたが、戦後のプロ野球や大学野球試合が復活し、人々は希望を期待に胸を膨らませました。
(7)レコード:「東京オリンピックの歌―この日のためにー」・「東京オリンピック音頭」(昭和37(1962)年 ビクター) 個人蔵・当館寄託
世界中へ日本の復興を伝えたのは、昭和39(1964)年の東京オリンピックでした。
テーマソングを三浦洸一・安西愛子・ビクター合唱団の歌による「この日のために」と橋幸夫・市丸・松島アキラ他の歌による「オリンピック音頭」を収録しています。
東京オリンピックの成功は人々に自信と誇りを取り戻し、高度経済成長からさらなる日本の発展へとつながっていきました。