南江戸鬮目遺跡から出土した漆器碗
ケヤキ地 有力者所有か


- 南江戸鬮目遺跡出土の漆器椀(口径12.15cm、器高6.6cm)の (上)外面と(下)内面 =県歴史文化博物館保管
赤と黒のコントラストが美しい。これは、松山市の「南江戸鬮目(くじゅめ)遺跡」から出土した約800年前の漆器椀である。
漆は、ウルシノキの樹液で、縄文時代から使われてきた天然の塗料である。硬化してしまえば非常に丈夫になる特徴をもつ。木製の器の表面に漆を塗り重ねたものが漆器である。英語ではjapanと呼ばれる日本を代表する工芸品である。
古代まで、漆器は貴族や一部の官僚しか使えない高級品であった。
平安時代末ごろから、漆の代わりに柿渋を下地に使う廉価な漆器が作られるようになる。鎌倉時代には、器の表面に草花などを描く漆絵も登場し、その華やかさから漆器の需要を後押しした。当資料は、漆器が普及していく12世紀~13世紀ごろのものと思われる。
当資料は黒色の漆器椀で、器の両面には赤色漆でモミジが描かれている。報告書によれば木地はケヤキである。下地が漆か柿渋かは被膜分析をしないとわからない。
この漆器椀が出土した南江戸鬮目遺跡は、鎌倉時代から室町時代を中心とする南江戸地域の中世集落のひとつである。南江戸地域には、鎌倉時代初期に建てられたとされる本堂(国宝)をもつ大宝寺がある。寺の南部を流れる宮前川は、三津浜から南江戸、さらに道後をつなぐ水運路となっており、川の周辺には多くの集落が広がっていた。当遺跡は、周囲の遺跡よりも居住域が大きいことや輸入品である中国製陶磁器が大量に発見されていること、その中に質の良い品が多いことなどから、有力な集落であった可能性が考えられている。この漆器椀も、木地が上質とされるケヤキであり、有力な人物の持ち物だったのかもしれない。
漆器は土中では残存しにくく遺跡から発掘されることはまれであるが、この漆器椀からは、当時の漆芸技術の高さをうかがい知ることができる。土器にはない華やかさをもち、軽くて丈夫な漆器は当時の人々に希求されたことだろう。
漆は、ウルシノキの樹液で、縄文時代から使われてきた天然の塗料である。硬化してしまえば非常に丈夫になる特徴をもつ。木製の器の表面に漆を塗り重ねたものが漆器である。英語ではjapanと呼ばれる日本を代表する工芸品である。
古代まで、漆器は貴族や一部の官僚しか使えない高級品であった。
平安時代末ごろから、漆の代わりに柿渋を下地に使う廉価な漆器が作られるようになる。鎌倉時代には、器の表面に草花などを描く漆絵も登場し、その華やかさから漆器の需要を後押しした。当資料は、漆器が普及していく12世紀~13世紀ごろのものと思われる。
当資料は黒色の漆器椀で、器の両面には赤色漆でモミジが描かれている。報告書によれば木地はケヤキである。下地が漆か柿渋かは被膜分析をしないとわからない。
この漆器椀が出土した南江戸鬮目遺跡は、鎌倉時代から室町時代を中心とする南江戸地域の中世集落のひとつである。南江戸地域には、鎌倉時代初期に建てられたとされる本堂(国宝)をもつ大宝寺がある。寺の南部を流れる宮前川は、三津浜から南江戸、さらに道後をつなぐ水運路となっており、川の周辺には多くの集落が広がっていた。当遺跡は、周囲の遺跡よりも居住域が大きいことや輸入品である中国製陶磁器が大量に発見されていること、その中に質の良い品が多いことなどから、有力な集落であった可能性が考えられている。この漆器椀も、木地が上質とされるケヤキであり、有力な人物の持ち物だったのかもしれない。
漆器は土中では残存しにくく遺跡から発掘されることはまれであるが、この漆器椀からは、当時の漆芸技術の高さをうかがい知ることができる。土器にはない華やかさをもち、軽くて丈夫な漆器は当時の人々に希求されたことだろう。
(学芸員 三浦 彩)
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