実盛人形
集落外に送り豊作祈願

- 実盛人形(幅48.5cm、高さ101.5cm、奥行47.0cm)=1994年製作、県歴史文化博物館蔵

- 魚成の実盛送り=2024年、 県歴史文化博物館撮影
6月の最終日曜日は、西予市城川町魚成で実盛送りが行われる。実盛送りは田植えの後、害虫退散、五穀豊穣(ほうじょう)を祈願する行事で、源平合戦において、平家方の武将、斎藤別当実盛が稲株に足を取られて討ち死にをした際に「稲の虫になって恨んでやる」と言い害虫に転生した伝説に由来する。
西日本に多く見られ、「実盛様」と呼ぶ人形を作り、それを持って集落内をまわり、最後に集落の外へと送り出す。一つの集落で完結する場合もあるが、魚成のように複数の集落がリレー方式で実盛人形を引き継いで送る場合もみられる。
行事のスタート地点である田穂地区で実盛人形が作られる。紙製の烏帽子(えぼし)をかぶり、陣羽織を身につけ、右手に采配、左手に稲の苗を持つ実盛人形の背中には、長い道中に持ちやすいよう支える棒もついている。
田穂地区の寺で入魂した実盛人形は、田穂川上流の水源を出発点とし、四本旗を先頭に青々とした水田の畦道を進む。途中の茶堂で行列は止まり、楽念仏を行いながら徐々に川筋を下っていく。
実盛人形が次の魚成地区へ引き渡されると、再び鉦(かね)と太鼓を打ち鳴らしながらの行列となり、田穂川と中津川との合流地点では旗5本が加わる。かつては、中津川上流の集落からも実盛送りが下ってきて、ここで合流した名残とされている。
実盛人形の首に下がるサンヤブクロには、参拝に来た人々がさい銭や菓子を入れる。その際に前の人達が入れていた菓子をもらい、帰宅して仏壇に供えてから食べると夏病みしないといわれている。
魚成地区と今田地区の境まで来ると、今田地区の人々へ実盛人形が引き渡され、行列は杉の瀬という河原まで進み、最後の楽念仏を行った後、川を背に実盛人形と旗指し物を安置して終わる。
実盛人形はいつしか川に流れていくが、早く流されるほどその年は豊作に恵まれると言う。本来は川に流れて残らないが、民俗展示室1「愛媛の民俗・祭りと芸能」では、実盛人形を保存・展示している。行事の担い手が人形を作るのに、本展示品や過去の写真を参考にすることも多いと聞く。
今年(2025年)の魚成の実盛送りは明日、(6月)29日の日曜日。川沿いに住む人々による五穀豊穣の願いを込めた行事を見に足を運んでいただきたい。
西日本に多く見られ、「実盛様」と呼ぶ人形を作り、それを持って集落内をまわり、最後に集落の外へと送り出す。一つの集落で完結する場合もあるが、魚成のように複数の集落がリレー方式で実盛人形を引き継いで送る場合もみられる。
行事のスタート地点である田穂地区で実盛人形が作られる。紙製の烏帽子(えぼし)をかぶり、陣羽織を身につけ、右手に采配、左手に稲の苗を持つ実盛人形の背中には、長い道中に持ちやすいよう支える棒もついている。
田穂地区の寺で入魂した実盛人形は、田穂川上流の水源を出発点とし、四本旗を先頭に青々とした水田の畦道を進む。途中の茶堂で行列は止まり、楽念仏を行いながら徐々に川筋を下っていく。
実盛人形が次の魚成地区へ引き渡されると、再び鉦(かね)と太鼓を打ち鳴らしながらの行列となり、田穂川と中津川との合流地点では旗5本が加わる。かつては、中津川上流の集落からも実盛送りが下ってきて、ここで合流した名残とされている。
実盛人形の首に下がるサンヤブクロには、参拝に来た人々がさい銭や菓子を入れる。その際に前の人達が入れていた菓子をもらい、帰宅して仏壇に供えてから食べると夏病みしないといわれている。
魚成地区と今田地区の境まで来ると、今田地区の人々へ実盛人形が引き渡され、行列は杉の瀬という河原まで進み、最後の楽念仏を行った後、川を背に実盛人形と旗指し物を安置して終わる。
実盛人形はいつしか川に流れていくが、早く流されるほどその年は豊作に恵まれると言う。本来は川に流れて残らないが、民俗展示室1「愛媛の民俗・祭りと芸能」では、実盛人形を保存・展示している。行事の担い手が人形を作るのに、本展示品や過去の写真を参考にすることも多いと聞く。
今年(2025年)の魚成の実盛送りは明日、(6月)29日の日曜日。川沿いに住む人々による五穀豊穣の願いを込めた行事を見に足を運んでいただきたい。
(専門学芸員 松井 寿)
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