調査・研究えひめの歴史文化モノ語り

第193回
2025.7.5

中国の楽器起源の仏具

孔雀文磬

「孔雀文磬」((下)は反対面)。厳かで美しい孔雀の文様が両面に表されている=宝寿寺蔵、鎌倉時代、県歴史文化博物館寄託
 鎌倉時代初期の制作と考えられている鋳銅製の「孔雀文磬(くじゃくもんけい)」(県指定有形文化財)は、四国八十八カ所霊場の第62番札所宝寿寺(西条市小松町)の所蔵で、当館に寄託されている。
 磬とは法要や読経で打ち鳴らして使用する仏具である。仏壇正面に据えた、導師が座る礼盤(らいばん)の右側に配置する磬架(けいか)につり下げて、撞木(しゅもく)でたたいて用いる。磬の中央には、梵鐘(ぼんしょう)のように蓮華(れんげ)を模した撞座(つきざ)があり、その左右には向かい合った孔雀の模様が浮彫されており、「孔雀文磬」と呼ばれる。
 磬の起源は紀元前の古代中国における石製の楽器とされ、後に仏教に採り入れられたと考えられている。日本の仏教で使われた磬のほとんどは石製ではなく金属製である。
 本資料の大きさは肩幅17.2cm、裾張り18.8cm、中央高7.8cm、縁厚0.8cmを測る。肩幅より裾幅が広めで、少し裾が外側に張っている。上縁の左右にはひもを通すための耳が付いている。
 一面には羽を広げた孔雀が片脚を上げて尾羽を上げた姿、反対の面には羽を広げた孔雀が尾羽を下げた姿を表している。
 美しい羽を持つ孔雀は仏教では、極楽浄土にすむ鳥とされ、孔雀は毒蛇を食べることから、人々の災厄や苦痛を取り除く功徳があるとされている。特に密教では神秘的な力を持つ鳥として神格化され「孔雀明王」として信仰された。また、縁起の良い瑞鳥(ずいちょう)とされる孔雀は吉祥文様として美術工芸作品のモチーフとして用いられている。
 宝寿寺は縁起によると、天平のころ、聖武天皇が諸国に造営した一の宮の別当として建立された勅願寺であったとされ、後に弘法大師が聖武天皇のきさきである光明皇后の姿をかたどった十一面観世音菩薩像を彫造し本尊とし、寺名を「宝寿寺」と改めたと伝えられる。以来、中山川の氾濫、豊臣秀吉の四国攻めによる荒廃、明治期の神仏分離による廃寺、国鉄予讃線の開通などにより、これまで境内の移転を何度も繰り返し現在地に至る。
 本資料が宝寿寺にどのような経緯で伝来したのかは不明であるが、四国霊場に伝わる中世の仏具として大変貴重な資料として注目される。

(専門学芸員・今村賢司)

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