調査・研究えひめの歴史文化モノ語り

第194回
2025.7.24

菓子の木型

図柄さまざま 慶弔用に

菓子の木型(昭和-平成初期)県歴史文化博物館蔵
 和菓子づくりにかかせない道具の一つ「木型」。桜の板材にさまざまなモチーフを彫り、和菓子を成形する型として使用される。使用方法はいたってシンプル。2枚の木型を重ね、その中に材料である砂糖やあんといった材料を入れて抜き出すと和菓子が完成する。
 今回紹介する菓子の木型は、かつて西予市野村町にあった福山昭和堂菓子舗で使用されていたもの。店舗名の通り、昭和初期にカステラ、タルト、せんべい、あめなどの製造販売を始めた。木型の図柄は、松竹梅、鶴亀、タイ、エビ、ハマグリ、モモ、菊花、レンゲ、ハスの実、宝珠(ほうじゅ)、尉姥(じょうとうば)など計26点、最も大きい木型は縦20cm、横25cmある。主に祝い事や仏事用の菓子製造に使用された。「めでたい」の語呂合わせの縁起物のタイや長寿の象徴である鶴亀などの練り切りは、昭和期の結婚式では定番の引き出物菓子だった。聞き取りでは、平成初めごろまで結婚式の引き出物として生菓子を製造していたとのことだった。昭和世代の方々は、練り切りのタイをどのように切り分けて食べようかと包丁を手に思案した思い出がよみがえる方も多いのではないだろうか。残念ながら引き出物菓子で練り切りをみることはほとんどなくなった。
 菓子舗店主は、木型の彫りが悪いと抜けにくく、菓子の出来を左右したと話されていたが、使い込まれた木型のいくつかには、製作者の刻印または印判が押されており、県内に菓子型の彫刻師がいたことが判明した。「松山市北夷子町/村上きまま堂」、「三津浜廣町/菓子型/彫刻師/二代目/村上のんき堂」とある。
 その地名からたどっていくと松山市北夷子町は、現在の松山市千舟町2丁目・三番町2丁目付近で、明治以降みこし大工や家具・指し物大工などが住むような地域だったようで、その中の一軒だったのであろうか。三津浜廣町は現在の松山市三津3丁目にあたる。村上のんき堂が2代目と名乗っていることから、きまま堂とのんき堂の間には、血縁かあるいは師弟関係があったのかもしれない。
 ともに小さな商いだったようで、文献や古い地図からその名を見つけることはできなかった。「きまま」や「のんき」といったユニークな屋号をつけた菓子型彫刻師がつくった木型は抜けやすかったのか、その名のような仕事ぶりだったのか気になるところである。

(専門学芸員・宇都宮美紀)

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