調査・研究えひめの歴史文化モノ語り

第195回
2025.8.14

「傷痍軍人の御賜の義肢」

生涯続く戦争の苦しみ

御賜の義肢=県歴史文化博物館蔵
 まもなく終戦から80年の夏を迎える。戦争体験者の高齢化により体験談を聞く機会は少なくなった。今後は遺された資料に耳を傾け、資料が発している声を聞き取る想像力が求められる。
 今回は傷痍(しょうい)軍人へ与えられた「御賜(おんし)の義肢」を紹介する。義肢を与えられたのは楠河村(現西条市)出身の松木邦義さん(1912~1996年)。1933(昭和8)年1月に第11師団工兵第11大隊(善通寺)に入営し、34年11月に現役満期を迎えた。このまま戦争がなければ、松木さんは平穏な日々を送ることができたはずだった。
 しかし、37年7月に日中戦争の発端となる盧溝橋事件が起き、翌月に上海へ飛び火すると、第3師団(名古屋)と第11師団を基幹とする上海派遣軍が編成され、松木さんは工兵第11連隊に再び応召されることとなった。
 8月22日に多度津港を出港して、翌月3日に上海郊外に上陸し、連日戦闘が続いた。そのような中で14日、松木さんは右上腕に敵の銃弾が貫通して野戦病院に収容された。野戦病院では十分な治療ができないほどの重症だったのか、19日に上腕の3分の1を残して切断する手術を受けている。その後、10月に病院船で内地へ帰還し、広島陸軍病院から東京第一陸軍病院へ転院、入院中であった38年4月にこの義肢が与えられた。
 義肢の入った木箱には「御賜」、付属の「御沙汰書写」には「北支事変傷痍者ヘ皇后陛下以思召下賜」と書かれている。この義肢は昭和天皇の皇后・香淳皇后の「思召(おぼしめし)」で「下賜」されたのである。今も手首や指の関節はスムーズに曲がり、物を挟んだり引っかけたりする道具もそろっている。
 松木さんは義肢を受け取った後、臨時東京第三陸軍病院へ転院、6月に退院した。しかし、39年10月には義肢の不具合で痛みを感じて装着できないため、広島陸軍病院に入院願を提出している。義肢の扱いに苦労されたのだろう。40年9月、松木さんには傷痍軍人証と傷痍軍人記章授与証書が与えられている。
 戦争は戦死者だけでなく多くの傷痍軍人も生んだ。戦中は「名誉の負傷者」として世の中の士気を高める存在であったが、戦後には戦争から平和へと価値観が大きく転換する中で、社会から厳しい視線を向けられることもあったと聞く。終戦により戦闘そのものは終結しても、戦争が生んだ悲しみや苦しみは一生涯続くことを本資料は伝えている。

(専門学芸員・平井誠)

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