三角形の鉄板を鋲留め
西条市後谷古墳出土の短甲


- (上)短甲(古墳時代中期)=残存高31.0cm、県歴史文化博物館保管(下)出土後の写真=「愛媛県史 原始・古代Ⅰ」(1982年)より
今年の6月に、大阪府堺市の大山(だいせん)古墳(仁徳陵古墳)から明治時代に出土した副葬品である刀子(とうす)の一部が再発見されたニュースは、読者の方の記憶にはまだ新しいのではないだろうか。この大山古墳と同じ時期(古墳時代中期)にあたる県内の古墳は数十基と非常に少ないのが現状である。今回紹介するのは、西条市後谷古墳から出土した短甲(たんこう)と呼ばれる鉄製の甲(よろい)で、数少ない同時期の資料である。
本資料は、1967年に果樹園の造成作業中に箱式石棺から発見された。墳丘形態や規模等の詳細な情報はないまま、消滅した本古墳の情報を得る資料はない。発見時の新聞記事によると、短甲の他に鉄剣、鉄刀、刀剣の柄に装着する三輪玉(みわだま)、鉄鏃(てつぞく)が出土したことが記載されているが、現状では、短甲と三輪玉が残存するのみである。
短甲は、「三角板鋲留(さんかくいたびょうどめ)」と呼ばれ、三角形の鉄板を鋲で留めて製作されたものである。全国で70例、四国内で4例の出土事例がある。写真のように出土後にはほぼ完形であったが、県郷土記念館、県立歴史民俗資料館で収蔵されている間に鉄製品という性格のため、形状を崩し、現在では十数片に分かれている。県立歴史民俗資料館の閉館後の2005年に、当館で保管することとなり、翌年に当館保存処理施設で脆弱(ぜいじゃく)な部分を樹脂で強化する作業をおこない、現在に至っている。
筆者にはもともと完形であった本資料を何とか元の状態に戻して、展示室で公開したいという思いがあった。県内には全体の形状がわかる古墳時代の短甲は本資料しかないからである。そこで、本年より3カ年かけて、修復することを計画、その準備のために、研究者の方に適切な修復方法について聞いて回った。幸い、本資料を実見された研究者に修復方法の具体案をご教示いただき、修復する準備が整った。まだ修復には数年の年月が必要であるが、本資料を復元した状態で公開できる日を楽しみにお待ちいただきたい。
本資料は、1967年に果樹園の造成作業中に箱式石棺から発見された。墳丘形態や規模等の詳細な情報はないまま、消滅した本古墳の情報を得る資料はない。発見時の新聞記事によると、短甲の他に鉄剣、鉄刀、刀剣の柄に装着する三輪玉(みわだま)、鉄鏃(てつぞく)が出土したことが記載されているが、現状では、短甲と三輪玉が残存するのみである。
短甲は、「三角板鋲留(さんかくいたびょうどめ)」と呼ばれ、三角形の鉄板を鋲で留めて製作されたものである。全国で70例、四国内で4例の出土事例がある。写真のように出土後にはほぼ完形であったが、県郷土記念館、県立歴史民俗資料館で収蔵されている間に鉄製品という性格のため、形状を崩し、現在では十数片に分かれている。県立歴史民俗資料館の閉館後の2005年に、当館で保管することとなり、翌年に当館保存処理施設で脆弱(ぜいじゃく)な部分を樹脂で強化する作業をおこない、現在に至っている。
筆者にはもともと完形であった本資料を何とか元の状態に戻して、展示室で公開したいという思いがあった。県内には全体の形状がわかる古墳時代の短甲は本資料しかないからである。そこで、本年より3カ年かけて、修復することを計画、その準備のために、研究者の方に適切な修復方法について聞いて回った。幸い、本資料を実見された研究者に修復方法の具体案をご教示いただき、修復する準備が整った。まだ修復には数年の年月が必要であるが、本資料を復元した状態で公開できる日を楽しみにお待ちいただきたい。
(専門学芸員・冨田尚夫)
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