調査・研究えひめの歴史文化モノ語り

第199回
2025.10.6

青年政治家 末広鉄腸

政策理念 小説にも反映

末広鉄腸『雪中梅』第15版、1898(明治31)年=県歴史文化博物館蔵
 末広鉄腸(てっちょう)という人物をご存じだろうか。明治期に活躍した政治小説家・新聞記者・政治家であり、政治小説「雪中梅」の著者として知られる。
 1849(嘉永2)年2月21日、宇和島城下の笹町に生まれ、本名は重恭(しげやす)という。宇和島藩士の家に生まれた鉄腸は、藩校・明倫館に学び、1869(明治2)年に明倫館の教授を務めた。廃藩置県後には、神山県の官吏となるが、退職し上京。大蔵省に入るも、他と意見が合わず再び退職する。その後は、曙新聞社で編集長となるが、1875(明治8)年に施行された新聞紙条例を批判する記事を掲載したため禁錮刑と罰金刑を受け、同条例による最初の処罰者となった。この事件は、自由民権運動が高揚する当時において、人々の注目を集めた。
 1881(明治14)年、板垣退助らが自由党を結成すると鉄腸もこれに加わるが、板垣の外遊に反対し離党する。その後、体調を崩し静養を余儀なくされたが、「二十三年未来記」「雪中梅」「花間鶯(かかんおう)」を執筆し、政治小説の代表的作家として評価を確立した。
 1886(明治19)年に刊行された「雪中梅」は、鉄腸の政治的主張や政策理念を反映した作品であり、主人公の青年政治家・国野基は鉄腸自身の政治理想を体現しているとされる。物語は国野の政治活動に加え、ヒロインお春との恋愛模様を織り込みながら展開し、自由民権運動の機運を背景に、小説を通じて民衆に政治的関心を喚起することを目的としている。作品の内容については、ここで深く触れることは避けたい。気になった方はぜひ、この機会に読んでみていただきたい。
 鉄腸は1888(明治21)年に欧米各国の政治事情を視察するため外遊し、翌年帰国した。その旅行記は「鴻雪録(こうせつろく)」「唖(おし)之旅行」にまとめられている。政治家としては、1890(明治23)年の第1回衆議院議員総選挙に当選したが、第2回総選挙では落選し、第4回総選挙で再び議席を得た。
 政治家として自由民権を唱えつつ執筆活動を続けた鉄腸であったが、1896(明治29)年、現職の衆議院議員のまま舌がんにより死去した。48歳であった。生涯に著した20余編の著作は、彼の思想と活動の軌跡を示すものである。

(主任学芸員・甲斐未希子)

※キーボードの方向キー左右でも、前後の記事に移動できます。