調査・研究えひめの歴史文化モノ語り

第200回
2025.10.26

大洲八幡神社御旅之図

江戸期「お成り」軽妙に

「大洲八幡神社御旅之図」。「枡形ニテ音楽之図」など3場面で構成されている。30.8×125.4cm。江戸時代中期=県歴史文化博物館蔵
 大洲八幡神社は大洲城の北西、肱川を望む八幡の山頂付近にあって、江戸時代には「喜多郡総鎮守」として大洲藩領内より崇敬を集めた。本資料は大洲八幡神社の御神幸行列「お成り」の様子を描いた巻子である。
 参詣人や見物人などは省略して描かれており、朱書きで註が付けられている点からも粉本(絵の下書き)であることがわかる。
 お成りは神社の祭礼における神輿(みこし)渡御の際に多くの人々が供奉(ぐぶ)する行事であり、現在も八幡神社御神幸として執行されている。
 江戸時代のお成りは1746(延享3)年に藩の命令により、従来の八幡神社から肱川を渡り、中村離宮(御旅所)を往復するルートから、城下を通り、さらに2カ所の御旅所(枡形・西門前)を経由して八幡宮へ戻るルートに変更された。ルートを変更し、大洲城下を通行させた理由は、領民に対して、藩主家である加藤家に対して畏敬の念を持たせるような意識付けがなされたものと考えられている。
 現在、八幡神社を出発した行列は、久米地区を回り三の丸、中町1丁目を経て、肱川橋を通過し常磐町から御旅所の総社宮へ向かうといったルートで、往時のものとは大きく変化している。
 まず「枡形ニテ音楽之図」では中央に3基の神輿を据え、その前で神子(みこ)が舞い、楽人が音楽を奏で、神主をはじめとする社人も座している様子がわかる。神輿と神子の間には御供物が描かれており、桶(おけ)や供台が見て取れる。周囲には御長柄を持った警備の人々、さらには見物人が取り囲むといった、同心円状の構図となっている。
 次に「西御門前之図」は「枡形ニテ音楽之図」と同じく同心円状の構図で、楽人たちが演奏する笙(しょう)や篳篥(ひちりき)、太鼓なども軽妙なタッチで描かれている。
 最後に「中村離宮之図」では加藤家の家紋である蛇の目紋をあしらった幕の前で踊り、音楽を奏でる様子が描かれる。他の2図とは異なり、神輿が描かれていないが、神輿は離宮の中に3基とも安置されており、この中に楽人も詰めていることが朱書きで記されている。また大勢の参詣人が集まる中、露払いを先頭に神主、藩主の御代参役人の行列が続き、他の2図には見えない神馬、旗などが描かれている。
 大勢の見物人や参詣者が詰めかけている様子から、お成りには神事としてだけでなく、庶民の娯楽的側面もあったことがうかがえる。大洲八幡神社のお成りに関する文献史料は多く存在しているが、本資料は江戸時代のお成りの様子が視覚的に捉えられる点において貴重である。
 今年(2025年)のお成りは11月2日の日曜日である。古式ゆかしい行列をぜひ現地でご覧いただきたい。

(学芸員 横井蒼大)

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