調査・研究えひめの歴史文化モノ語り

第202回
2025.11.28

銘文に年代や造営者名

堂ヶ谷経塚出土の経筒・経巻

堂ヶ谷経塚出土の経筒・経巻(県指定有形文化財)。経筒は高さ30cm、口径12cm=県歴史文化博物館蔵
 経塚とは経典を埋めた場所である。経塚の造営は、末法思想を思想的背景に、仏教的な善行・作善(さぜん)として始められたと考えられ、平安時代から鎌倉時代にかけて流行した。その目的は、自身の極楽往生や現世幸福、父母の追善供養などで、複数の目的を持つこともある。
 経典は巻子に仕立てた経巻とし、筒状の容器に納めて埋める場合が多い。この容器を経筒と呼ぶ。経筒は経典をはるか未来まで残すためにつくられた、いわば経典のタイムカプセルである。
 本資料は、伊予市堂ヶ谷経塚から出土した金銅製の経筒と、その中に納入されていた経巻である。
 堂ヶ谷経塚は、1958(昭和33)年に雑木林の開墾中に発見された。記録によれば、経筒は板状の石を並べた40cm四方の石室の中に納められ、蓋(ふた)石の上には扁平(へんぺい)な小石が積み重ねられていたという。2015年に伊予市教育委員会が発掘調査を行い、遺構の保存状況が確認された。経筒は美術品として流通し、出土地や埋納状況が不明な場合が多い。
 経筒は蓋、筒身、底板、台座の四つのパーツを組み合わせている。蓋は笠形の被せ蓋で縁が五花形、宝珠形のつまみが付く。筒身は下部をやや折り曲げて底板を固定し、円形の台座が鋲(びょう)留めされる。装飾的な技巧が凝らされた優品といえる。
 経筒の側面には、以下の銘文が刻まれている。「各為二親 奉入如法経筒 久安六年八月卅日  乙氏親遠 藤原氏女 秦氏是延」。「久安六年」(1150年)は、県内で確認されている経筒の中で最古の紀年銘である。さらに銘文からは、乙氏、藤原氏と秦氏がおのおのの両親のために如法経を納めた経塚であることがわかる。「乙氏」は伊予の豪族「越智氏」と解されているが、銘文にある3人の名が他に記された古記録はなく、どのような人々であったかは不明である。
 経巻は細い木製の軸をもつ。紙が固着して開くことはできないが、銘文に「奉入如法経筒」とあることから、法華経であると推測される。
 経筒と経巻がセットで残っていることに加え、出土地や埋納状況がわかること、埋納年や目的、造営者の名前を記した銘文があることが、本資料の価値を高めている。

(学芸員 三浦彩)

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