四国遍路の納経帳
様式化前 貴重な証明書

- (右)納経帳の表紙、(左)最初のページ(49番浄土寺)=1779(安永8)年、県歴史文化博物館蔵
四国八十八カ所霊場を巡拝する遍路にとって最も大切なものに納経帳がある。
納経とは写経した経典を社寺や聖地に納めることをいうが、簡略化され、経典を納めずに、社寺を参拝して納経料を支払うことも意味した。納経帳は納経の受領証として札所などが発行・授与した納経印をつづったもので、巡礼の証明書である。
主に江戸時代-昭和(戦前)までの四国遍路の納経帳には巡礼者の氏名、居住地、参拝した札所や本尊の名称などが記され、おおむね札所の参拝順につづられており、四国遍路の実態がよくわかる。
今回紹介するのは、江戸時代中期に松山藩領の久米郡今在家村(松山市)で庄屋をつとめた戒能家に伝わる納経帳である。
その表紙には、「安永八己亥(つちのとい)天 二月五日出立 同三月十七日帰宅 奉納四国八拾八箇所納経帳 豫州松山領久米郡星岡住 願主戒能善兵衛」とある。
戒能善兵衛が1779(安永8)年の春に 41日間かけて巡拝した四国遍路の納経帳であることがわかる。最初に参拝した札所は近隣の49番浄土寺(2月5日)。納経帳には墨書で「四十九番 奉納妙典 本尊釈迦如来 与州松山西林山 浄土寺 安永八年 亥二月五日 行者丈(寺院印)」とある。
「奉納妙典」と「行者丈(ぎょうじゃじょう)」の記載は、江戸時代後期以降の四国遍路の納経帳には見られない特徴である。
妙典とは、衆生を迷いから悟りの世界に導く経典で、華厳経(けごんきょう)、法華経、涅槃(ねはん)経などの総称で、法華経を指すことが多い。行者丈とは、納経を願った行者(巡礼者)の敬称を意味する。
善兵衛の巡拝日程を確認すると、順打ち (札所番号順)に参拝し、75番善通寺(2月15日)、88番大窪寺(20日)、1番霊山寺(21日)、24番最御崎寺(3月1日)、38番金剛福寺(10日)、48番西林寺(17日)で結願している。
本納経帳では札所番号印、宝印などの御朱印が使用されていない札所も多く、江戸時代後期に四国遍路の納経帳が様式化する以前の納経帳の体裁を示している。唯一無二の納経帳は四国遍路の実態を探る貴重な巡礼資料といえる。
納経とは写経した経典を社寺や聖地に納めることをいうが、簡略化され、経典を納めずに、社寺を参拝して納経料を支払うことも意味した。納経帳は納経の受領証として札所などが発行・授与した納経印をつづったもので、巡礼の証明書である。
主に江戸時代-昭和(戦前)までの四国遍路の納経帳には巡礼者の氏名、居住地、参拝した札所や本尊の名称などが記され、おおむね札所の参拝順につづられており、四国遍路の実態がよくわかる。
今回紹介するのは、江戸時代中期に松山藩領の久米郡今在家村(松山市)で庄屋をつとめた戒能家に伝わる納経帳である。
その表紙には、「安永八己亥(つちのとい)天 二月五日出立 同三月十七日帰宅 奉納四国八拾八箇所納経帳 豫州松山領久米郡星岡住 願主戒能善兵衛」とある。
戒能善兵衛が1779(安永8)年の春に 41日間かけて巡拝した四国遍路の納経帳であることがわかる。最初に参拝した札所は近隣の49番浄土寺(2月5日)。納経帳には墨書で「四十九番 奉納妙典 本尊釈迦如来 与州松山西林山 浄土寺 安永八年 亥二月五日 行者丈(寺院印)」とある。
「奉納妙典」と「行者丈(ぎょうじゃじょう)」の記載は、江戸時代後期以降の四国遍路の納経帳には見られない特徴である。
妙典とは、衆生を迷いから悟りの世界に導く経典で、華厳経(けごんきょう)、法華経、涅槃(ねはん)経などの総称で、法華経を指すことが多い。行者丈とは、納経を願った行者(巡礼者)の敬称を意味する。
善兵衛の巡拝日程を確認すると、順打ち (札所番号順)に参拝し、75番善通寺(2月15日)、88番大窪寺(20日)、1番霊山寺(21日)、24番最御崎寺(3月1日)、38番金剛福寺(10日)、48番西林寺(17日)で結願している。
本納経帳では札所番号印、宝印などの御朱印が使用されていない札所も多く、江戸時代後期に四国遍路の納経帳が様式化する以前の納経帳の体裁を示している。唯一無二の納経帳は四国遍路の実態を探る貴重な巡礼資料といえる。
(専門学芸員 今村賢司)
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