昭和改元時の郵便はがき
発表前に消印切り替え


- 郵便はがきの(上)消印と(下)裏面。昭和元年=県歴史文化博物館蔵
2026年の新しい年を迎えた。今年は昭和元年(1926年)から起算して満100年を迎える。内閣府では「昭和100年」のポータルサイトで関連施策の情報発信をしている。そこで、今回は「昭和100年」に関連して大正から昭和に改元された際のはがきを紹介する。
1926(大正15)年12月25日午前1時25分に大正天皇が崩御されると、践祚(せんそ)した昭和天皇は午前10時20分に「十二月二十五日以後ヲ改メテ昭和元年ト為ス」の詔書に署名され、同日から昭和に改元された。昭和元年は同月31日までの7日間である。なお、昭和64(1989)年1月7日に昭和天皇が崩御された際は、元号法に基づき政令で翌日の8日から平成に改元された。
本資料は宇和島市広小路の樋口虎若(1872~1958年)が成妙村(現宇和島市三間町)の二宮市太郎へ送ったはがきである。「愛媛県人物名鑑」などによると、樋口は旧吉田藩士樋口直康の子に生まれ、1894年に第三高等中学校医学部(現岡山大学医学部)を卒業後軍医となり、1900年に耳鼻咽頭科を開業した。市会議員や郡会議員を歴任して、1938年に宇和島市長となっている。
はがきの裏面には「至尊陛下御不例ニ渉ラセラレ恐懼ニ堪ヘズ 年末年始ノ御礼差扣ヘ申候 大正十五年十二月」とある。大正天皇が病気であるため、年末年始のあいさつを控えると伝えている。「大正十五年十二月」とあることから、崩御の直前に発送したものと思われる。
その一方で消印を見ると、「宇和島1.12.25前9-12」となっている。当時、宇和島局では午前0~9時が第1便、午前9~12時が第2便であった。郵政博物館に問い合わせてみると、逓信省は改元の発表をまたずに、第2便から日付印を「15」から「1」に切り替えたそうである。本資料の消印は宇和島局で最初に元号が切り替えられたものと言える。
松山市に縁の深い中村草田男は昭和6年に「降る雪や 明治は遠くなりにけり」と詠んでいる。「昭和100年」と聞くと「昭和も遠くなりにけり」と感じる方も多いのではないだろうか。2026年を迎えた今年、新たな目標に取り組むとともに、折に触れて昭和を振り返る機会にしてはどうだろうか。
1926(大正15)年12月25日午前1時25分に大正天皇が崩御されると、践祚(せんそ)した昭和天皇は午前10時20分に「十二月二十五日以後ヲ改メテ昭和元年ト為ス」の詔書に署名され、同日から昭和に改元された。昭和元年は同月31日までの7日間である。なお、昭和64(1989)年1月7日に昭和天皇が崩御された際は、元号法に基づき政令で翌日の8日から平成に改元された。
本資料は宇和島市広小路の樋口虎若(1872~1958年)が成妙村(現宇和島市三間町)の二宮市太郎へ送ったはがきである。「愛媛県人物名鑑」などによると、樋口は旧吉田藩士樋口直康の子に生まれ、1894年に第三高等中学校医学部(現岡山大学医学部)を卒業後軍医となり、1900年に耳鼻咽頭科を開業した。市会議員や郡会議員を歴任して、1938年に宇和島市長となっている。
はがきの裏面には「至尊陛下御不例ニ渉ラセラレ恐懼ニ堪ヘズ 年末年始ノ御礼差扣ヘ申候 大正十五年十二月」とある。大正天皇が病気であるため、年末年始のあいさつを控えると伝えている。「大正十五年十二月」とあることから、崩御の直前に発送したものと思われる。
その一方で消印を見ると、「宇和島1.12.25前9-12」となっている。当時、宇和島局では午前0~9時が第1便、午前9~12時が第2便であった。郵政博物館に問い合わせてみると、逓信省は改元の発表をまたずに、第2便から日付印を「15」から「1」に切り替えたそうである。本資料の消印は宇和島局で最初に元号が切り替えられたものと言える。
松山市に縁の深い中村草田男は昭和6年に「降る雪や 明治は遠くなりにけり」と詠んでいる。「昭和100年」と聞くと「昭和も遠くなりにけり」と感じる方も多いのではないだろうか。2026年を迎えた今年、新たな目標に取り組むとともに、折に触れて昭和を振り返る機会にしてはどうだろうか。
(専門学芸員・平井誠)
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