県内唯一 国宝考古資料
奈良原山経塚出土の銅製宝塔

- 銅製宝塔(複製)、平安時代後期、総高71.5cm=県歴史文化博物館蔵(原資料は奈良原神社蔵)
今回紹介する銅製宝塔は、高縄半島の中央部にそびえる楢原山(今治市、1041m)山頂に造営された奈良原山経塚の出土品である。1934(昭和9)年8月、奈良原神社境内で雨乞い祈禱(きとう)のための清掃中に偶然発見された。1938(昭和13)年「国宝保存法」により、国宝に指定され、戦後、文化財保護法制定後、1956(昭和31)年に再度国宝に指定された。県内では考古資料として唯一の国宝である。出土品は春と秋に30日ずつ今治市玉川近代美術館で公開されている。
経塚は高さ1.5m、直径約7.5mの周囲に葺石(ふきいし)を施した円墳状のもので、山の東側の中腹には「建徳2(1371)年」の銘を持つ石製宝塔(総高1.28m)1基が置かれていた。
一つの封土内に南北に2基の経塚を営む複合経塚である。1号経塚は深さ1m、直径0.6mの土坑(穴)をうがち、底石を3枚敷き、その上に短刀4口を並べ、その上に銅製宝塔を木製蓮台にはめて安置し、底部を欠きとった大甕(がめ)で覆い、さらに小甕を逆さにして蓋(ふた)とし、甕の周囲を山石でかためていた。この周囲には青白磁合子(ごうす)、円鏡、方鏡、刀子(とうす)、檜扇(ひおうぎ)が埋納されていたほか、宝塔の屋根につるしたと思われる板金具なども置かれていた。
宝塔は、塔身・屋蓋(おくがい)・相輪(そうりん)の三部から成り、塔身前面には法華種子曼荼羅(ほっけじゅしまんだら)が線刻されている。屋根の四隅には風鐸(ふうたく)などが付くほか、軒下には飾り金具を巡らしている。
経塚出土宝塔の中では、京都市鞍馬寺経塚出土品(国宝)と双璧をなすといわれる優品である。
(2026年)4月5日まで開催中の特別展「伊予の経塚名品展」では、県内出土の経塚出土資料を一堂に集めているが、宝塔を含めた奈良原山経塚出土遺物については、原資料を忠実に再現した複製を常設展示室から企画展示室に移して展示している。経典を未来に残すためにつくられたタイムカプセルともいえる経塚の魅力を感じていただければ幸いである。
経塚は高さ1.5m、直径約7.5mの周囲に葺石(ふきいし)を施した円墳状のもので、山の東側の中腹には「建徳2(1371)年」の銘を持つ石製宝塔(総高1.28m)1基が置かれていた。
一つの封土内に南北に2基の経塚を営む複合経塚である。1号経塚は深さ1m、直径0.6mの土坑(穴)をうがち、底石を3枚敷き、その上に短刀4口を並べ、その上に銅製宝塔を木製蓮台にはめて安置し、底部を欠きとった大甕(がめ)で覆い、さらに小甕を逆さにして蓋(ふた)とし、甕の周囲を山石でかためていた。この周囲には青白磁合子(ごうす)、円鏡、方鏡、刀子(とうす)、檜扇(ひおうぎ)が埋納されていたほか、宝塔の屋根につるしたと思われる板金具なども置かれていた。
宝塔は、塔身・屋蓋(おくがい)・相輪(そうりん)の三部から成り、塔身前面には法華種子曼荼羅(ほっけじゅしまんだら)が線刻されている。屋根の四隅には風鐸(ふうたく)などが付くほか、軒下には飾り金具を巡らしている。
経塚出土宝塔の中では、京都市鞍馬寺経塚出土品(国宝)と双璧をなすといわれる優品である。
(2026年)4月5日まで開催中の特別展「伊予の経塚名品展」では、県内出土の経塚出土資料を一堂に集めているが、宝塔を含めた奈良原山経塚出土遺物については、原資料を忠実に再現した複製を常設展示室から企画展示室に移して展示している。経典を未来に残すためにつくられたタイムカプセルともいえる経塚の魅力を感じていただければ幸いである。
(専門学芸員・冨田尚夫)
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