調査・研究えひめの歴史文化モノ語り

第209回
2026.3.14

助産師による受胎調節指導の実態

「母体保護」親身に相談

八幡浜地区指導員日誌(1962~65年、縦25.6cm 横18.1cm)=県歴史文化博物館蔵
 本資料は八幡浜市の助産師が、日本通運株式会社八幡浜営業所より委託された受胎調節実施指導について記録した日誌である。
 助産師とは、妊娠から出産、産後の育児までの母子の健康を支える専門職で、かつては「産婆」や「助産婦」と称された。その名の通り助産業務に加えて、避妊することで妊娠出産を人工的にコントロールする受胎調節指導も重要な業務である。
 1952(昭和27)年、優生保護法(現在の母体保護法)の改正により受胎調節実地指導員制度が誕生し、認定講習を受けた助産師、保健師、看護師は、指導員として自治体や企業から委託を受けて受胎調節指導を行った。
 日誌を見ると、この助産師は徒歩やバスを使い、1日に1~4軒のペースで担当する33世帯を定期的に訪問している。事前にはがきで訪問日時を知らせ、担当家庭を訪ねて各家族の事情に合わせて指導を行っていた。
 「男子3人女子1人あるのでそろそろ調節の必要があるので色々話す。荻野式等は集団指導の時に云ってあるので話がしやすい。スキンを差し上げた」(1962年8月3日)
 「器具を買いに行くのはやはり気まりが悪いので訪問を喜んで下さった」(1962年8月20日)
 日誌からは、家族構成や健康状態について話を聞き、母体保護の観点から親身になって相談にのり、必要な避妊方法を提案、避妊器具を頒布していた様子がわかる。特に避妊器具と薬品の頒布は喜ばれた。
 「一番下の子供さんが言語が少しわかりにくいと心配して居られたので、一度医師に診てもらう様勧める」(1963年7月11日)
 「10月より身体の調子が悪くて医師に診てもらって居られた。お話を聞くと更年期障害らしく栄養の事や無理をなさらぬ様話して帰る」(1963年12月14日)
 助産師が受胎調節の指導に加えて、子どもの成長や更年期の悩みにも耳を傾けていたこともうかがえる。
 本資料は、対象の女性やその家族との信頼関係を育むことで、受胎調節というプライベートな部分にも踏み込んだ助産師による受胎調節指導の実態が明らかになる貴重な資料といえる。
 なお、本資料も含め、愛媛県内の助産師が使用した道具等の資料を紹介した資料目録第34集「愛媛の助産師資料目録」は(2026年)3月に刊行。

(専門学芸員 松井寿)

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