調査・研究えひめの歴史文化モノ語り

第1回
2017.7.16

縄文時代海を越え交流か

上黒岩岩陰遺跡の石材

上黒岩岩陰遺跡から見つかった縄文時代の石鏃(せきぞく、左)と石錐=県歴史文化博物館保管
 久万高原町の上黒岩岩陰遺跡が発見されて、今年ではや56年。これまで本遺跡では5回の発掘調査が行われ、約1万4500年前の縄文土器をはじめ、女性像を描いたとされる線刻礫(せんこくれき)いわゆる女神石、日本最古の埋葬犬の骨、骨角器(こっかくき)が突き刺さった状態の人骨など膨大な遺物が出土した。これらは日本の先史時代を探る上で、第一級の資料として高く評価されている。
 2009年には、ようやく詳細な報告書が刊行され、遺跡の重要性が再認識されてきた。しかしいまだ出土遺物は各地の大学等に散在した状態であり、中には整理・報告されていない資料も存在している。
 当館にも保管資料があり、昨年度に県内外の研究者と共同で再整理を行った。その作業の一つとして、石器に使われていた石材がどこの産地か調べるため、蛍光エックス線分析を実施した。その結果、孔(あな)を開ける道具である石錐(せきすい)に使われている石材が奈良県と大阪府にまたがる二上山(にじょうざん)の組成(そせい)と非常に近く、近畿地方原産のサヌカイトが使われている可能性が示された。
 分析前は、せいぜい四国内の香川県産のサヌカイトを想定していたが、上黒岩岩陰遺跡から直線距離で300kmも離れた場所から海を越えて運ばれてきた可能性が高まった。このことから、閉鎖的な文化圏として捉えられがちな四国山間部が、そこにとどまらない縄文人たちの広い活動範囲や、海を越えた地域間の交流が存在することをうかがうことができる。
 こうした成果は、今後も科学的な分析を加えながら研究を続けていく必要性を感じさせるものとなり、その蓄積が上黒岩岩陰遺跡の価値をさらに高めると期待される。

(専門学芸員 兵頭 勲)

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