調査・研究えひめの歴史文化モノ語り

第11回
2017.12.13

大きな衿・鳳凰刺しゅう

戸島の地芝居衣裳

宇和島市戸島の地芝居に使われた「濃茶天鵞絨地桐鳳凰岩波模様小忌衣」(明治時代、県歴史文化博物館所蔵)
 大きな衿(えり)と美しい鳳凰(ほうおう)刺しゅうが特徴で、強い存在感を放つ。宇和島市戸島の地芝居の衣裳である。戸島は、同市沖約18kmの宇和海に位置し、かつて地元の青年団による地芝居が行われ、衣裳や浄瑠璃本、絵馬などが残っている。
 戸島での地芝居の起源は不明だが、浄瑠璃本には明治20年代~大正初期の墨書きがある。また衣裳は江戸後期~明治後期の製作とされる。
 この衣裳は芝居独特のもので小忌衣(おみごろも)といい、公家役や高貴な武将役が着る。明治期の製作と考えられる。幅広の衿がひだ状に立ち、裾まで長く続いている。戸島に残されていた小忌衣はこの1点のみだが、その特徴をよく備えている。
 後ろ身頃(みごろ)には大きく羽根を広げた鳳凰、桐や岩、水しぶきが刺しゅうされている。鳳凰は古代中国の伝説上の鳥で、徳の高い君子の治世に現れ、桐の木にすむとされた。日本でも、吉祥文様としてさまざまな美術工芸品などに見ることができる。華やかで気品あるモチーフの小忌衣は、さぞ舞台映えしたことだろう。
 戸島の地芝居は、2月の皇大神宮(こうたいじんぐう)の祭礼の際に境内で行われていた。かつては近隣の村浦に出かけて芝居をしたこともあったという。稽古は波が高くなり漁に出られなくなる冬期に、網小屋や倉庫で行った。昭和30年ごろには、小学校の教室間の仕切りを取りはらって芝居を行っていた。
 衣裳は地区の寺院の衣裳蔵で保管されていた。衣裳の管理も青年団の担当で、境内に綱を張って土用干しをした。かつては境内いっぱいに干すほどのたくさんの衣裳があったという。
 このように地芝居は、地域の祭礼や暮らしに深く結びついていた。地芝居は次第に行われなくなったが、この衣裳からは芝居に取り組んだ若者たちの姿が見えてくるようである。

(学芸課 宮瀬 温子)

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