調査・研究えひめの歴史文化モノ語り

第22回
2018.5.19

鳥瞰図 大胆デフォルメ

石崎汽船の観光案内図

【上】吉田初三郎が描いた石崎汽船の観光案内図。九州から東京までを見渡す独特の鳥瞰絵図となっている=1927年、県歴史文化博物館蔵
【下】石崎汽船本社付近の拡大図
 今回紹介するのは、三津浜に本社を置いた石崎汽船が、鳥瞰(ちょうかん)図絵師吉田初三郎(1884~1955年)に作成を依頼した観光案内図だ。初三郎は「大正の広重」と称され、鳥が地上を見下ろしたような鳥瞰図に大胆なデフォルメを加える技法を得意としていた。自社の航路を利用する大阪・東京方面からの観光客を呼び込もうと、起用したと思われる。
 この絵図を見ると、まず朱色の太い線が目につく。石崎汽船の尾道―高浜―三津浜航路である。大三島近くを高浜へ向かう相生丸の煙突には、石崎汽船の屋号であるマルイチが見える。石崎汽船の本社は、松山城並みに大きく描かれ、初三郎のサービス精神がよく表れている。
 右隅に見えるのが別府である。松山と別府が目と鼻の先になっている。本州側に目を向けると、鉄道に沿って尾道から東京まで描かれている。しかも静岡と東京の間に富士山を描いているところが初三郎らしい。単なる鳥瞰図ではなく、本来見えないものもデフォルメして描くのが初三郎の真骨頂である。
 石崎汽船が自社の航路でアピールしたのは、裏面に「伊予道後温泉への最捷路(しょうろ)」と強調するように、大阪・東京方面から愛媛を訪れる最短コースということ。石崎汽船は急行船で尾道―高浜3時間10分、大阪―松山10時間5分、東京―松山23時間10分。一方、1927(昭和2)年の大阪商船の大阪―別府航路は、大阪―高浜14時間20分で、断然石崎汽船が早かった。
 また大阪・京都を土曜日の夜に出発すれば、日曜の未明に尾道に着き、松山に約7時間滞在できることも紹介している。道後温泉などの観光地を巡り、夕方に高浜を出発すれば、月曜日の未明には、大阪・京都に着くというプランだ。
 最短コースの強調や観光プランの提案は、昭和2年の国鉄の松山延伸を意識してのことであろう。松山が近代に観光都市となる背景には、観光資源の存在だけではなく、交通の発達に合わせて観光客を松山に呼び寄せようとする民間の営業努力もあった。

(専門学芸員 平井 誠)

※キーボードの方向キー左右でも、前後の記事に移動できます。