調査・研究えひめの歴史文化モノ語り

第34回
2018.11.19

全体像を詳細に視覚化

四国徧礼(へんろ)絵図

細田周英が手掛けた「四国徧礼(へんろ)絵図」=1763年版、県歴史文化博物館蔵
 江戸時代、四国遍路が庶民に広まる背景の一つに案内記・絵図類の出版がある。本図は江戸中期に大坂において木版墨刷りで刊行され、現存する四国遍路絵図の中で最も古いものとして知られている。
 大きさは縦60cm、横95cm。本州の中国地方から四国を眺めたように、現在の地図感覚からすると南北が逆に描かれている。デフォルメされた四国の中央部に弘法大師像を配置し、四国八十八カ所の札所と遍路道をはじめ、各地の城下、番所、国境、山坂峠、村里、名所、番外札所、川、港の名前、札所間の道のりなどが克明に記され、実用的な内容となっている。
 作者の細田周英は但馬国竹野轟村(現在の兵庫県豊岡市竹野町)の出身で、本名は平四郎、画号は周英。大坂の狩野派絵師吉村周山の弟子であった。細田家は屋号を住吉屋と称し、酒造業を営み、4代目から大庄屋を務めた。周英はその5代目に当たる。
 刊記によると、本図を作成した動機について、1747(延享4)年に真念の「四国遍礼(へんろ)道指南(みちしるべ)」を手本として弘法大師のゆかりの地を巡礼したが、西国三十三所巡礼などの絵図があるのに対して四国遍路には絵図がないことを惜しみ、あまねく遍路の手引きとなるように願って作成したと記されている。
 本図の意義は四国遍路の全体像を初めて詳細に視覚化したことにある。
 本図が刊行された江戸時代中期には、八十八カ所の札所や番外霊場、それらをつなぐ遍路道、海の玄関口である港や航路などが既に整備され、四国内外から多くの遍路が四国霊場を巡礼するようになった。
 その後、本図を皮切りに多くの四国遍路絵図が作られていったが、いずれの図よりも本図は詳しく、遍路絵図の決定版として、江戸時代に盛行した四国遍路の実態を今に伝えている。

(専門学芸員 今村 賢司)

 四国徧礼絵図は、絵図・絵巻デジタルアーカイブに高精細画像で公開中。

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