調査・研究えひめの歴史文化モノ語り

第39回
2019.2.14

文明開化の雰囲気描く

道後温泉鳥瞰図

明治の文明開化の雰囲気がただよう「道後温泉鳥瞰図」=1881年、県歴史文化博物館蔵
中央左から新湯・本館・養生湯が並び、右手前には馬が湯に浸かる様子が描かれている(拡大図)
 松山の観光名所である道後温泉本館の保存修理工事が(2019年)1月15日から始まった。営業を行いながらの工事で期間は約7年、総事業費は約26億円だそうだ。
 今回紹介する資料は1881(明治14)年に発行された「道後温泉鳥瞰(ちょうかん)図」である。国の重要文化財に指定されている現在の本館のひとつ前の姿や道後のにぎわいを多色刷り版画で描いたもので、赤の霞(かすみ)が資料に強いインパクトを与えている。
 江戸時代、松山藩が所有していた道後温泉は、明治維新を迎え、1875(明治8)年に町民が結成した原泉社が国から土地・建物を借用して温泉経営を行った。
 道後温泉の建物に注目すると、1872(明治5)年に改築された2階建ての本館(一・二・三ノ湯)がほぼ中央に描かれている。一ノ湯が5厘、二・三ノ湯が1厘(明治9年)の時代に1600円で起工し、玄関は北側にあった。2階では今も昔も変わらず休憩する人々の姿が見える。
 本館の東には1878(明治11)年に1222円余りで新築された3階建ての特別湯である新湯、南には1834(天保5)年に改築された養生湯が描かれている。おもしろいのは西の牛馬湯。入浴している2頭の馬が描かれている。牛馬も温泉で疲れをとったのだろう。
 道後温泉の周囲に目を向けると、湯神社、伊佐爾波神社、宝厳寺など伝統的な名所が詳細に描かれている。これらに交じって、さっそうと道後の街を駆け抜けて行く人力車や洋傘をさした女性、ガス灯や洋館と思われる建物の描写も繊細だ。時は明治10年代。時代の大きな転換を象徴する文明開化の波が道後にも訪れていた。その雰囲気を俯瞰(ふかん)するように描かれている。
 道後温泉本館は、総工費13万5千円余りをかけた1894(明治27)年の改築を経て、現在の姿となった。その建物は、改築に改築を重ねながらも大事に受け継がれてきたことになる。地元の人々が道後温泉を愛する熱い思い。鳥瞰図からその一端をうかがうことができる。

(専門学芸員 平井 誠)

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