祖母から孫へ 世代超え
西条藩松平家のひな飾り
- 西条藩松平家のひな飾り=江戸時代後期、県歴史文化博物館蔵
豪華なひな飾りの代名詞と言えば、大名家のものだろう。春になると各地の博物館で公開され、目にする人も多いのでは。当館でも毎年、西条藩松平家のひな飾りを毎年上巳(じょうし)の節句に合わせて展示公開している。
これは、9代藩主松平頼学(よりさと)の元に嫁いだ京都の公家一条忠良(ただよし)の娘通子(ゆきこ)のひな飾りで、有職雛(ゆうそくびな)とひな道具の一部が伝わっている。
有職雛は、公家の装束の決まりごとを正しく考証して作られたひな人形のことを指す。通子の有職雛が納められた木箱には「大政所様より/御拝領/御所雛一対」の貼紙がある。大政所とは摂政・関白の母親を指すことから、通子にとっては祖母から贈られたものであることが分かる。
ひな道具には、両家の家紋である隅切り葵紋と一条下がり藤紋が金の蒔絵(まきえ)で散らされている。頼学と通子の婚約が整ってはじまった婚礼調度品づくりの中で、このひな道具も作られたことが分かる。
実は、ひな道具を収納する木箱を調べてみると二つの輪が交差した文様「輪違い」と「米印」という御印(おしるし)が記されていた。御印とは、公家や大名家で物品に記して持ち主を見分けるために用いたもので、2種類ということは、このひな飾りの持ち主が通子以外にもう1人いたことになる。
さらに調査を進めると、松代藩真田家の史料の中に西条藩松平家ゆかりの品があり、「米印」の御印がついていることが分かった。西条藩ゆかりの人物を真田家で探すと、真田幸正に嫁いだ松平頼英の娘澄子(すみこ)が見つかった。通子にとって澄子は孫に当たる。おそらく澄子は、祖母からひな飾りの一部を譲り受けていたのだろう。
大名家のひな飾りは、大ぞろいでその豪華さに目を奪われがちだが、西条藩のひな飾りには祖母から孫娘へ、世代を超えて大切に受け継がれていった秘められたストーリーがあったのである。
これは、9代藩主松平頼学(よりさと)の元に嫁いだ京都の公家一条忠良(ただよし)の娘通子(ゆきこ)のひな飾りで、有職雛(ゆうそくびな)とひな道具の一部が伝わっている。
有職雛は、公家の装束の決まりごとを正しく考証して作られたひな人形のことを指す。通子の有職雛が納められた木箱には「大政所様より/御拝領/御所雛一対」の貼紙がある。大政所とは摂政・関白の母親を指すことから、通子にとっては祖母から贈られたものであることが分かる。
ひな道具には、両家の家紋である隅切り葵紋と一条下がり藤紋が金の蒔絵(まきえ)で散らされている。頼学と通子の婚約が整ってはじまった婚礼調度品づくりの中で、このひな道具も作られたことが分かる。
実は、ひな道具を収納する木箱を調べてみると二つの輪が交差した文様「輪違い」と「米印」という御印(おしるし)が記されていた。御印とは、公家や大名家で物品に記して持ち主を見分けるために用いたもので、2種類ということは、このひな飾りの持ち主が通子以外にもう1人いたことになる。
さらに調査を進めると、松代藩真田家の史料の中に西条藩松平家ゆかりの品があり、「米印」の御印がついていることが分かった。西条藩ゆかりの人物を真田家で探すと、真田幸正に嫁いだ松平頼英の娘澄子(すみこ)が見つかった。通子にとって澄子は孫に当たる。おそらく澄子は、祖母からひな飾りの一部を譲り受けていたのだろう。
大名家のひな飾りは、大ぞろいでその豪華さに目を奪われがちだが、西条藩のひな飾りには祖母から孫娘へ、世代を超えて大切に受け継がれていった秘められたストーリーがあったのである。
(専門学芸員 宇都宮 美紀)
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