調査・研究えひめの歴史文化モノ語り

第48回
2019.6.27

副葬では珍しい水晶製

四ツ手山古墳の玉類

四国中央市四ツ手山古墳に副葬されていた水晶製のネックレス=6世紀前半、県歴史文化博物館保管
 近年、古墳時代の装身具・玉類に関する展覧会が全国各地で開催されるようになった。これは玉類の製作方法が明らかになるなどこの方面の調査・研究が進んだ結果と考えられる。
 今回紹介するのは四国中央市下柏町の四ツ手山古墳から出土した玉類。水晶製の勾玉(まがたま)5点、切子玉(きりこだま)16点、算盤玉(そろばんだま)9点、棗玉(なつめだま)5点、平玉1点、メノウ製丸玉1点から成る。
 同古墳は松山自動車道の三島川之江インターチェンジ(IC)の建設に伴い、1980年に発掘調査が行われた。調査の結果、墳丘の形や規模は調査以前に畑として開墾されており、明確にはならなかったが、横穴式石室1基の基底部の最下段から数段が検出された。
 石室内からは、他に鈴鏡の破片、小札甲(こざねよろい)片、馬具、鉄製武器などが、また墳丘からも鹿や鶏をかたどった県内でも数少ない形象埴輪(けいしょうはにわ)が出土している。これらの出土遺物には明確に築造時期が判断できる資料が少なく、これまで6世紀代という幅広い年代が想定されていた。
 最近の玉類研究の進展により、これらの水晶製の玉類は、日本海側の出雲で製作されたものであることがわかった。当時の中央政権を介して当地域の首長が手に入れたものであると考えられる。水晶を主体とした玉類の副葬は国内でも珍しい事例だ。
 また、周辺にある東宮山古墳と比較すると、石室の形態が古く、6世紀前半にさかのぼることが明らかになった。
 小札甲や形象埴輪の年代比定とも一致しており、この地域でいち早く造営された首長墓である可能性が浮かび上がってきた。
 発掘調査後、約40年を経た資料だが、周辺の古墳研究の成果を踏まえた再評価が必要であると感じている。

(専門学芸員 冨田 尚夫)

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