調査・研究えひめの歴史文化モノ語り

第56回
2019.10.25

人気絶大 海上のホテル

豪華客船「紅丸」

「瀬戸内海の女王」と呼ばれ、大正末から昭和初めにかけて大阪―別府間を往来した豪華客船「紅丸」の模型=県歴史文化博物館蔵
 現在(2019年)、県歴史文化博物館(西予市)では、秋の特別展「瀬戸内ヒストリア」が開催中(11月24日まで)だ。この展示は、古代から近代までの瀬戸内の歴史を紹介しており、近代の展示は瀬戸内海交通と観光がテーマになっている。そこで今回は、展示資料の中から近代瀬戸内海交通において、絶大な人気を博した船を取り上げたい。
 写真の船名は「紅丸(くれないまる)」。大阪から大分別府をつなぐ航路を走る大阪商船の船で、「瀬戸内海の女王」と呼ばれた。実は、写真の紅丸は2代目の紅丸である。大阪別府航路に就航していた初代紅丸は、他の航路へ移ってしまった。
 2代目紅丸がデビューしたのは、1924(大正13)年で、当時最先端だったディーゼルエンジンを搭載した最新の船であった。大阪商船は内装にも非常に凝り、「海上のホテル」ともうたわれた。客室はフランス様式と純日本式があり、食堂はルネサンス式、床はモザイク張り、天井は高くステンドグラスのドームで彩られ、細部には和風の細工が施される。和洋がモダンに混ぜられた独特の「日本式」でしつらえられた豪華な紅丸は、一躍大阪商船の人気船となった。
 大阪商船は、その名のとおり大阪港を中心に各地へ航路を広げた代表的な商船会社であるが、この商船会社の設立に、愛媛の有名人が大きく関わっていたことをご存じだろうか。その人物こそ、広瀬宰平である。
 広瀬宰平と聞いて多くの人は、別子銅山を思い浮かべるだろう。住友家の総理事となった宰平は、事業拡大を図り、事業家の五代友厚らと諸会社を設立するが、そのうちの一社が大阪商船であった。当時57歳であった宰平は商船会社設立のために最前線で奔走し、1884(明治17)年大阪商船を設立し、初代頭取を務めたのである。
 少し寂しいことに、広瀬宰平が瀬戸内海交通の発展に貢献していたことは、県内でもあまり知られていないように感じる。今回の展示で、瀬戸内海交通の近代化に、愛媛の人物が大きくかかわっていたことも知っていただければ、学芸員冥利(みょうり)に尽きる。

(学芸員 甲斐 未希子)

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