調査・研究えひめの歴史文化モノ語り

第63回
2020.2.13

明治の札所 様子伝える

四国霊場の最古級写真集

㊤明治後期の45番札所岩屋寺。左から二王門と大師堂が並ぶ ㊦江戸時代から難所として知られる室戸阿南海岸「はね石・ごろごろ石」=いずれも「四国霊場名勝記」(個人蔵)より、県歴史文化博物館保管
 「四国霊場名勝記」は明治期に四国霊場を撮影した最古級の写真集である。明治42(1909)年の出版で、発行人は大阪市の西尾為次郎、印刷者は藤井由翠堂、発行者は西尾多満彌堂と記されている。
 冒頭に弘法大師御影を掲げ、東寺、高野山奥之院、発行人の所在地にある摂津国八十八ケ所霊場の一つである和光寺(大阪市西区)と境内にある阿弥陀池の写真を掲載。以下、四国八十八カ所霊場の1番から88番の順に、各札所の基本情報(所在地、本尊名、御詠歌、略縁起、次の札所までの距離)とモノクロ写真が1枚ずつ収録されている。写真図版は合計94点。
 収録する各札所の古写真は、境内の一部の限られた景観を撮影したものであるが、当時の諸堂の配置、本堂や大師堂などのたたずまい、境内の荒廃や整備状況、門前や境内での物売り、参拝する遍路の姿などが記録され、明治後期の四国遍路の様子を垣間見ることができる。
 上の写真は一遍上人ゆかりの修行地として知られる45番札所の岩屋寺(久万高原町七鳥)の二王門と大師堂周辺の様子が写し出されている。二王門は入母屋(いりもや)造りの草葺(ふ)きで、現在の大師堂(大正9年建立、国重要文化財)以前の旧大師堂の姿、境内を囲む塀などが造られている途中とみられ、その資材と思われる板材が多く置かれるなど、当時の境内の様子がつぶさに確認できる。
 もう一枚の写真は、高知県室戸市の24番最御崎寺(ほつみさきじ)付近にある室戸阿南海岸の「はね石・ごろごろ石」。江戸時代から知られる難所であるが、こうした特色ある遍路道の風景も収録されていて興味深い。
 本書は明治時代初期の神仏分離以降の四国霊場の様子を伝える貴重な写真資料である。「四国霊場記」や「四国遍礼(へんろ)名所図会」などに収録する江戸時代に描かれた境内図と比較することで、札所の変遷や、近代に入り現代の四国霊場に至るまでの整備の過程を考察する上でも四国遍路の貴重な研究史料だ。

(専門学芸員 今村 賢司)

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