調査・研究えひめの歴史文化モノ語り

第69回
2020.5.17

遍路旅 心残る風景描く

中国四国名所旧跡図

「中国四国名所旧跡図」(江戸時代)での西丈が三津浜の商人と出会った場面=県歴史文化博物館蔵
江戸時代の「中国四国名所旧跡図」に描かれた遍路の難所「飛石はね石」=県歴史文化博物館蔵
 「中国四国名所旧跡」と記された表紙に続き、77枚の彩色された絵がとじられている。絵は和泉の堺に始まり、山陽道沿いに摂津・播磨・備前へと進み、その後瀬戸内海を渡って、讃岐・阿波・土佐・伊予を廻り、最後は66番札所の雲辺寺(徳島県三好市)で終わる。その経路から関西地域の遍路が描いた画帳と考えられる。
 画帳をめくると、そのうちの1枚に、「大和国」と記された菅笠(すげがさ)と杖(つえ)を手にする遍路の姿があり、大和国田原本(奈良県田原本町)の仏絵師、西丈という名前が記されている。その右隣には、三津浜(松山市)の商人松井忠三郎という人物。2人は三津浜近くの道でばったり出会って意気投合、西丈は松井の家に泊めてもらい、その日の晩から翌朝にかけて和歌のやりとりをしている。
 絵の余白には、「かしこくも書集けり敷島の名所を単(ひとつ)の杖にまかせて」とある。1本の杖を頼りに歩き、和歌の名所を書き集めた西丈をたたえる内容だが、西丈が松井に見せたのは旅中に詠んだ和歌だったのであろうか。西丈は絵師なのだから、むしろこれまでに描いた名所図だったと考える方が自然ではなかろうか。つまり、西丈が遍路の旅で心に残った風景を描いた画帳こそが、「中国四国名所旧跡図」といえよう。
 描く対象としては正規の札所は意外に少なく、番外札所、弘法大師ゆかりの旧跡、観光名所など多岐にわたっている。遍路の難所も多く描かれるが、その中に「飛石はね石」を描いたものがある。
 順打ちの遍路が土佐に入ってすぐに待ち受ける難所で、道は整備されておらず、大きな岩が転がる海岸を進まなければならなかった。西丈は岩交じりの海岸を進む小さな旅人と、それを飲み込むような太平洋の高波を対比して描いている。その描写は写実的ではないが、対象の本質を捉える力強さがある。専門の絵師である西丈が描きのこした絵からは、江戸時代の遍路が実際に目にして、感じていたことがストレートに伝わってくる。

(学芸課長 井上 淳)

※キーボードの方向キー左右でも、前後の記事に移動できます。