調査・研究えひめの歴史文化モノ語り

第70回
2020.5.25

高虎が施主 復興支援か

野村三嶋神社舞殿の棟札

1596(文禄5)年の野村三嶋神社舞殿棟札=同神社蔵・県歴史文化博物館保管
 藤堂高虎は1595(文禄4)年に宇和郡7万石で入部する。本資料は、翌年に高虎が施主となって、宇和郡周智(すち)郷野村(西予市)の三嶋神社の舞殿(まいどの)を造営した際の棟札である。棟札には、この時に川の氾濫があったことも記されており、造営は水害からの復興支援だったようだ。高虎が入部当初から寺社の整備を支援し、保護しようとしていたことが分かる。これは、神仏の加護はもちろんだが、民心の掌握をも意識したものであろう。
 表面の右下端には野村肝煎(きもいり)として緒方与治兵衛や泉貨(せんか)の名が見える。緒方氏は豊後(大分県)の佐伯氏が一時伊予に来住した時、帰国せず伊予に残った一族で、後に白木城を本拠とし、子孫は代々野村庄屋をつとめた。泉貨とは、地域特産和紙である泉貨紙の創始者兵頭太郎右衛門の号(別称)である。造営にあたり彼らが地域の中心的役割を担ったのだろう。裏面には、与治兵衛や泉貨をはじめ周智郷内の材木提供者41人の名や材木部位・本数が列記され、信仰の地域的広がりがうかがえる。
 実はこの棟札、以前から当館と少なからずご縁があった。何度か借用する機会もあり、2017年にも特別展「高虎と嘉明」で借用した。閉幕後にはもちろん丁寧に梱包(こんぽう)して返却した。
 ところが、その翌年の7月、思いもよらぬ事態に見舞われる。いまだ爪痕を残す豪雨災害である。宇和川沿いの野村三嶋神社も浸水し、棟札を保管していた社務所はほぼ流失、棟札も滅失が危惧された。しかし、一部残った建物の一角から、梱包が功を奏したためか目立った破損などもなく、無事に発見されたのである。まさに奇跡と呼ぶほかない。そこで、災害史と文化財レスキューをテーマにした昨年度特別展で約2年ぶりに借用展示したところ、この機会に寄託を受け、保存・活用を図っていくことになった。
 藤堂高虎の入部初期の活動や、地域の信仰の姿を伝える大切な地域資料、よくぞ水害を潜り抜けてくれたものである。

(専門学芸員 山内 治朋)

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