「寄り道」の距離も明記
西国巡礼道中絵図
- 江戸時代後期の西国巡礼の「ガイドマップ」(縦60.0cm、横69.2cm)、県歴史文化博物館蔵。
今回紹介するのは、江戸時代後期に作成された木版彩色による西国巡礼道中絵図である。西国巡礼とは観音菩薩の霊場三十三所をめぐる「西国三十三所観音巡礼」のことで、伝説では、大和国長谷寺の開山徳道(とくどう)上人が養老年間(717~723年)に閻魔(えんま)大王の勧めで発願され、後に花山法皇が中興したと伝えられる。
インドにその源を発する観音信仰は、仏教の伝来にともない中国、朝鮮を経て日本に伝わった。現存する日本の仏像の中では観音像が多く、全国各地に観音信仰の縁起や説話伝承が確認できる。観音菩薩は慈悲心によって33種の姿に変化し我々を救ってくれると説き、その33にちなんで始められたのが「三十三観音霊場巡り」である。
絵図の内容を見てみよう。版元は紀州粉川南町(和歌山県)の大坂屋長三郎。形態は実際に道中で使いやすいように折り畳み式となっている。図中に短冊形で黄色く塗られている部分が西国三十三所観音霊場の札所である。第1番は那智の滝で有名な青岸渡寺(和歌山県那智勝浦町)に始まり、33番の華厳寺(岐阜県揖斐川町)で結願となる。札所の中には8番の長谷寺(奈良県桜井市)、16番の清水寺(京都市)など全国的に著名な寺院も多く含まれている。
道中絵図のため、札所と札所を結ぶ巡礼道、そこから分岐する主要な街道、宿場町、宿場間の距離、神社、城下、名所などの情報が細かく記されている。注目したいのは推奨する道順が朱色で示され、伊勢神宮がある伊勢山田(三重県伊勢市)から始まっている点である。お伊勢参り後に西国巡礼に旅立つ者が多かったことを示している。また、凡例に「名所へまハる道のり附」とあるように、観光のために寄り道をした場合の距離が記されている。
本図が示すように、西国巡礼のコースとその周辺には、伊勢神宮、熊野三山、高野山、吉野山などの宗教的な聖地がある。西国三十三所とあわせて周辺の聖地を巡り、京の都、大坂などの都市部では名所見物も盛んに行われた。本図からは、あつい信仰心と物見遊山が表裏一体の関係であったことが読み取れる。
インドにその源を発する観音信仰は、仏教の伝来にともない中国、朝鮮を経て日本に伝わった。現存する日本の仏像の中では観音像が多く、全国各地に観音信仰の縁起や説話伝承が確認できる。観音菩薩は慈悲心によって33種の姿に変化し我々を救ってくれると説き、その33にちなんで始められたのが「三十三観音霊場巡り」である。
絵図の内容を見てみよう。版元は紀州粉川南町(和歌山県)の大坂屋長三郎。形態は実際に道中で使いやすいように折り畳み式となっている。図中に短冊形で黄色く塗られている部分が西国三十三所観音霊場の札所である。第1番は那智の滝で有名な青岸渡寺(和歌山県那智勝浦町)に始まり、33番の華厳寺(岐阜県揖斐川町)で結願となる。札所の中には8番の長谷寺(奈良県桜井市)、16番の清水寺(京都市)など全国的に著名な寺院も多く含まれている。
道中絵図のため、札所と札所を結ぶ巡礼道、そこから分岐する主要な街道、宿場町、宿場間の距離、神社、城下、名所などの情報が細かく記されている。注目したいのは推奨する道順が朱色で示され、伊勢神宮がある伊勢山田(三重県伊勢市)から始まっている点である。お伊勢参り後に西国巡礼に旅立つ者が多かったことを示している。また、凡例に「名所へまハる道のり附」とあるように、観光のために寄り道をした場合の距離が記されている。
本図が示すように、西国巡礼のコースとその周辺には、伊勢神宮、熊野三山、高野山、吉野山などの宗教的な聖地がある。西国三十三所とあわせて周辺の聖地を巡り、京の都、大坂などの都市部では名所見物も盛んに行われた。本図からは、あつい信仰心と物見遊山が表裏一体の関係であったことが読み取れる。
(専門学芸員 今村 賢司)
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