調査・研究えひめの歴史文化モノ語り

第98回
2021.7.31

埋納状況維持して発見

経田遺跡・平形銅剣

埋納された平形銅剣。県埋蔵文化財センター提供、県教育委員会蔵。
 今治道路の朝倉インターチェンジ(IC)から湯ノ浦ICにかけての建設予定地では、多くの埋蔵文化財の発掘調査が今も行われている。今回紹介する今治市経田(きょうでん)遺跡は、同市朝倉下に所在する弥生時代から中世にかけての集落遺跡である。2005~09年、約3万9千平方mという膨大な広さの事業予定地(遺跡)を対象に発掘調査が実施された。
 注目されるのは、弥生時代の武器形青銅器である平形銅剣(残存長21.3cm)が、埋納状況を維持したまま検出されたことである。全国的にも珍しい事例といえる。その遺構は長径36cm、短径34cm、深さ41cmを測る柱穴状で、平面形は円形であった。
 平形銅剣は、鋒(きっさき)を下に向け、遺構に鉛直方向に差し込まれた状態で検出された。埋納時期は、遺構の廃絶時期から考えると弥生時代中期末~後期前半が想定される。遺構周辺には竪穴建物が数棟確認されており、銅剣埋納段階には「広場的空間」であったと考えられている。
 県内では数多くの青銅器が発見されているが、古くは江戸時代に発見され、神社や寺院に奉納されたり、大正・昭和時代に丘陵部などの開墾中に数本まとめて発見され、東京・京都の両国立博物館に納められたりする事例が多く、当時、青銅器をどのように使用したかは明確ではない。しかし、青銅器が発見される場所は、当時の拠点となる集落遺跡の一角であることが近年の研究成果で明らかになっている。
 一方、本遺跡で検出された平形銅剣は、集落遺跡における銅剣を用いた祭祀(マツリ)を検討する上で貴重な事例である。切断した銅剣を使用されなくなった柱穴に埋納したのはなぜか。当時の祭祀の一つの形だったのであろうか。資料を前に考えを巡らせていただければ幸いである。
 テーマ展「東予と南予の弥生文化と青銅器」(2021年7月17日~12月5日)では、主に東南予で出土した青銅器と近年の発掘調査の成果を合わせて紹介し、それぞれに特性があることを紹介している。弥生時代というと遠い昔に思われるかもしれないが、青銅器を用いたマツリの形態を少し垣間見るだけでも、当時の暮らしを身近に感じられるのではなかろうか。

(専門学芸員 冨田 尚夫)

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