調査・研究えひめの歴史文化モノ語り

第101回
2021.9.4

尾張徳川家と同一意匠

叢梨地葵紋散蒔絵硯箱

叢梨地葵紋散蒔絵硯箱。江戸時代。県歴史文化博物館蔵
 文化庁が運営する「文化遺産オンライン」というポータルサイトをご存じだろうか。全国の博物館・美術館等から提供された文化財のさまざまな情報を誰でも見ることができ、当館の主要な収蔵品もこのサイトを利用し、2021年9月現在173件を公開している。
 2021年2月、愛知県岡崎市にある「三河武士のやかた家康館」の学芸員から「叢梨地葵紋散蒔絵硯箱(むらなしじあおいもんちらしまきえすずりばこ)」について問い合わせがあった。同館では、尾張徳川家11代斉温(なりはる)に嫁いだ俊恭院福君(しゅんきょういんさちぎみ)所用の硯箱を所蔵しており、3月下旬から始まる展覧会の準備中に文化財オンラインで検索したところ、同じデザインの硯箱の存在に気付いたそうだ。画像を送ってもらうと、確かに蒔絵デザインが同じで驚いた。見つけた学芸員は興奮したに違いない。
 当館所蔵の硯箱で意匠などを紹介したい。叢梨地とは、黒漆塗りの上に金や銀の粉を濃淡をつけてまだらにまいた漆技法の一つである。かすみがかかったような幽玄な雰囲気のある漆地に金の蒔絵で丸に葵紋を散らし、華やかさも備えた意匠である。
 硯箱の中には、中央の硯台に銀製の水滴と硯をはめ、筆2本・刀子(とうす)・錐(きり)・墨挟み・墨からなる硯道具一式が完全にそろっている。これまで西条藩松平家伝来品であること以外の情報はなく、家紋が西条藩の隅切り葵紋ではなく丸に葵紋であること、収納する外箱を2重にするなど厳重に保管してあることから将軍家や御三家からの拝領品であろうと推測するにとどまっていた。
 俊恭院福君について調べてみると、関白近衛家から1836(天保7)年に斉温に嫁ぎ、40(天保11)年に亡くなっており、硯箱は約4年間のどこかで所有したことになる。尾張徳川家と西条藩松平家に伝わった同一デザインの硯箱。この二つの硯箱はどのような経緯で両家に伝わったのか。またその背景に隠された物語があるのか、興味は尽きない。

(専門学芸員 宇都宮 美紀)

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