調査・研究えひめの歴史文化モノ語り

第103回
2021.10.20

江戸時代出土 県内最古

西予・宇和の広形銅矛

県内最古の出土記録のある広形銅矛(複製)。全長89.5cm。館蔵。
 県内で最古の出土記録がある考古資料は、今回紹介する西予市宇和町久枝大窪台出土の広形銅矛である。出土したのは江戸時代前期の1668(寛文8)年。その記録としては、江戸時代の地誌「宇和旧記」=1681(天和元)年成立、宇和島藩庁御用場記録の抄録「宗利公御代記録書抜」、西予市宇和町日吉神社所蔵の「久枝村山王宮再興記棟札」=1729(享保14)年銘、「銅矛採録棟札」=1850(嘉永3)年などがある。
 「宇和旧記」によると、寛文8年正月に久枝村の長七という人物が大窪台で矛を5本掘り出したが、かつて近くにあったという山王社の御神体と思い、祠(ほこら)を造って納め、祭礼で使ったと記されている。他の史料では、発見年、発見本数が異なり、この地で発見された銅矛の詳細は不明である。しかし、高知県土佐市天崎遺跡の発掘調査で4本の中広形銅矛が埋納された状態で出土した事例もあることから、この地で数回にわたり、数本の銅矛が埋納されていたとしても特異な事例ではない。
 また「宗利公御代記録書抜」には、寛文8年3月に久枝村の山畑で掘り出した唐金(銅矛)8本を神宮寺に差し出し、農民に米一俵が渡されたことが記されている。「文化財」という概念が存在しない時代に、銅矛の発見者に米一俵という褒章を与えていることは注目に値し、当時の人々の関心の高さがうかがえる。
 本資料は歴史展示室1に展示しているが、テーマ展「東予と南予の弥生文化と青銅器」開催に際し、実物の借用を所蔵者にご快諾いただき、日吉神社から棟札もお借りすることで、「江戸時代の一大発見」の経緯とともに実物を紹介することができた。資料調査と借用、展示で実物の銅矛を持った際の感覚は忘れることのない「ずっしり」とした重さであった。弥生時代の人々も祭器としての銅矛をこのように両手で支えて持ったのだろうと思った。
 テーマ展では、歴史展示室1で複製資料を常設展示している5点の実物資料を借用し、展示している。実物が持つ資料の存在感を見学していただければ幸いである。

(専門学芸員 冨田 尚夫)

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