調査・研究えひめの歴史文化モノ語り

第114回
2022.3.28

遍路を題材にした文学

「日本行脚文集」巻5

「日本行脚御文集」巻5(四国辺路海道記)。県歴史文化博物館蔵
 「日本行脚文集」は、江戸時代中期の俳人、大淀三千風が著した俳諧紀行である。1683(天和3)年4月に仙台を出発してから7年間に及ぶ旅の様子が、自らの句文に、訪問先の諸家から贈られた詩歌俳諧を加えて、1690(元禄3)年に刊行されている。7冊本で、各巻は旅程順に配列されており、訪れたエリアは、東北・北陸・東海・近畿・中国・四国・九州と全国に及んでいる。
 巻五には、三千風が1685(貞享2)年に四国遍路を行った時の記録「四国辺路海道記」が収められている。冒頭には元気な人なら40日間ほどで四国をまわるが、自分は120日間を要したとある。多くの俳諧仲間や知人を訪ね、句会の興行や古典の講義をしたり、各地に足を延ばし景観を楽しんだりした結果、要した日数といえる。
 三千風が旅したのは、真念による四国遍路の最初の案内書である「四国辺路道指南(みちしるべ)」が刊行される2年前に当たる。「道しるべなく」と記すように、遍路道にはまだ道標もない中、道に迷わないか不安を抱えながら歩く日々。阿波の旅の途次、西念という道心者(仏道の修行者)と出会い、しばらく一緒に歩いている。ガイドブックがない時代に安全に遍路を行うには、西念のような先達となる修行者が必要だったのかもしれない。
 伊予に入ると、40番観自在寺を参詣した後、宇和海寄りの灘道を進むが、難所の柏坂(愛南町)については「柏坂の峯渡り日本無双の遠景なり」として、海側に遠く九州を見晴らし、陸側に伊予の高根が続く眺望を絶賛している。45番岩屋寺では、岩の裂け目を鎖とはしごでよじ登り頂上の白山権現に参る「胎内くぐり」(せり割禅定)を体験したことなど詳細に記述し、「是ぞ八十八ケ第一の奇怪」と表現している。
 「四国辺路海道記」には、修辞技法により飾り立てた文章で約4カ月に及ぶ遍路の模様が記されている。他の道中日記と比べて、旅の実像がつかみにくい部分があるが、むしろ遍路を題材とした一つの文学作品として、本書を味わうべきなのであろう。

(学芸課長 井上 淳)

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