調査・研究えひめの歴史文化モノ語り

第119回
2022.6.5

鉄道や自動車 積極利用

戦前 女性遍路の写真

古写真からは昭和時代(戦前)の女性遍路の装束がよくわかる。
 1936(昭和11)年に女性2人で四国遍路を達成した際に撮影された白黒の記念写真が残されている。
 そこには、新居郡高津村(現新居浜市)出身の女性(左側・当時22歳)とその伯母(右側)が実際に四国巡礼を行った姿が写されている。
 写真を見ると、2人は白装束ではなく着物姿である。頭部には巡礼中の遍路を日差しや雨天から守る菅笠(すげがさ)をかぶり、手ぬぐいで頬かぶりしている。手首を保護する手甲(てっこう)を着けた左手には持鈴(じれい)、右手に金剛杖(づえ)を持つ。首から納札(おさめふだ)を収納する札箱、肩からは納経帳、経本など巡拝用品を入れる「さんや袋」をかけている。札箱の上に念珠を付けている。下半身には、足首を保護する脚半(きゃはん)を巻き、草鞋(わらじ)を履いている。後ろ姿は写真では見えないが、背中には荷物をのせる荷台があると推察される。
 この時の遍路日記や納経帳なども残されている。日記によると、出立前に「四国巡拝の買物」として、笠30銭、杖13銭、手袋25銭、納経帳18銭、ハブラシ3銭、ビクトリア(生理用品)50銭などを購入している。
 そして同年3月15日、多喜浜駅(新居浜市)を出発。観音寺駅(香川県観音寺市)で下車し、68番札所の神恵院から打ち始め、5月2日に帰郷。道中の交通手段は徒歩の他に鉄道や自動車、船などを積極的に利用している。
 この記念写真は、61番香園寺(西条市)を参拝後、実家に帰る直前に西条町の写真館において、70銭で撮影された。四国遍路の目的は日記に詳記されていないが、戦前に嫁入り前の女性が厄落としや人生経験を積むために身近な年配者に連れられて四国遍路を行う習俗があり、本事例もその可能性がある。
 四国遍路の記念写真や遍路日記などの巡礼資料がまとまって残されることはまれであり、交通手段が近代化した昭和初期の四国遍路の様相、特に女性遍路の実態を示す貴重な資料といえる。

(専門学芸員 今村 賢司)

※キーボードの方向キー左右でも、前後の記事に移動できます。