調査・研究えひめの歴史文化モノ語り

第131回
2022.12.6

日本書紀で被害詳細に

南海地震 最古の文字記録

「日本書紀」720(養老4)年成立・江戸時代中期刊(県歴史文化博物館蔵)
 四国沖の南海トラフを震源とする地震は、今後30年以内に70~80%程度の確率で発生すると想定されているが、今回は、古代の南海地震に関する歴史資料に目を向けてみたい。
 これまでの南海地震は、約100年から150年の間隔で発生している。直近では1946(昭和21)年に昭和南海地震が発生し、四国4県で死者・行方不明者約960人という被害が出ている。その92年前の1854(嘉永7)年には安政南海地震、さらにその147年前の1707(宝永4)年には宝永地震が発生し、四国各地で揺れ、津波により甚大な被害が出ている。
 文字記録で確認できる最古の南海地震は684(天武天皇13)年。朝廷が編さんした歴史書「日本書紀」の中に飛鳥時代の地震記録が残され、この地震は白鳳地震と呼ばれている。
 この時代は律令(りつりょう)を基礎とした国家の形成期で、地方官である国司から中央の朝廷へ、地方で発生した事件や災害は逐次報告される体制となっていた。白鳳地震の記録は、古代に創作された神話・伝承ではなく歴史的事実としての信ぴょう性は高い。しかも被害内容が詳細に記されていることには驚かされる。
 「日本書紀」によると、684年の10月14日(旧暦)に大地震が発生し、国中の人々が叫ぶほどの大きな揺れで、山が崩れて川はあふれ、役所、庶民の家屋、寺院・神社が倒壊し、多くの人が被害を受けたと記されている。
 そして「伊予温泉(いよのゆ)」が埋もれて湯が出なくなったとも書かれている。これは松山市の道後温泉のことである。最古の南海地震の記録で最初に出てくる地名は伊予(愛媛県)であり、道後温泉の湧出が止まる被害が記録されている。これは後世も同様で、宝永、安政、昭和と直近の3回の南海地震でも道後の湯は止まっている。
 続けて、土佐国(高知県)の海岸部では広範囲に地盤が沈降して、海水が流入して海のようになったことも記されている。この現象は地盤の隆起・沈降による被害であり、やはり歴代の南海地震で同様に発生している。
 これらは過去の出来事だと無視することはできない。南海地震が周期的に発生し、将来も同様の被害が起こる可能性があることを踏まえると、過去の南海地震に関する歴史資料に学ぶことは、防災・減災を考える上で重要になってくるだろう。

(専門学芸員 大本 敬久)

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