調査・研究えひめの歴史文化モノ語り

第133回
2023.1.14

武家屋敷住人の玩具か

土製・陶器製のミニチュア

国史跡「松山城跡」内、県民館跡地出土のミニチュア製品等(左手前の鳥形土笛・長さ7㎝)=県教育委員会蔵、県歴史文化博物館保管
 松山城は、標高132m、周囲約4㎞の独立丘陵「勝山」を中心に、加藤嘉明(かとうよしあき)が1602(慶長7)年に築城に着手したといわれている。山頂を削って本丸を設け、その西山腹に二之丸、その西麓の平地を三之丸として外周に堀が築かれた。
 このうち三之丸(堀之内)は、江戸時代の初め上級藩士が居住する武家屋敷のエリアとして整備されたが、1687(貞享4)年、4代藩主松平定直が、北側の一画に御殿を新設し、移り住んでいる。御殿と道を挟んで南側のブロックに会所・勘定所、南東側に小普請所、永蔵(長蔵)が配置され、藩政上の重要な施設がそろうこととなった。
 近代から終戦までは陸軍用地として使われ、戦後は県民館等の文化・スポーツ施設が多数整備された。その後、1995年10月に県民館を撤去し、その跡地周辺に県美術館が設置されることとなった。
 本資料は、1996年、県美術館の建設前に行われた4000㎡の発掘調査で見つかった土製や陶器製のミニチュア製品や人形である。発掘調査では11区画分の武家屋敷跡の遺構が確認されているが、これらはそこに住んでいた人が使用したものだろう。
 鳥の形をした土笛、泥面子(どろめんこ)、型抜きなどの遊び道具や当時のお金を模したもの、獅子頭や鯛(たい)の車などの祭り道具、灯籠やあずまやなどの箱庭道具が見られる。熊や多産を祈念したと考えられる犬の人形、陶器製のウサギの他、犬猿の仲である犬と猿が相撲を取っている人形も見つかっている。鍋・片口・急須などの台所用品、飲酒のためのとっくりもあるが、これらはままごとの道具として使われたのだろうか。
 小さなものに遊び心を抱き、めでる気持ちは、江戸時代も今も変わらない、と気付かされる資料である。

(専門学芸員 亀井 英希)

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