調査・研究えひめの歴史文化モノ語り

第142回
2023.5.23

古代鍛冶工房跡で出土

別名端谷Ⅰ遺跡の銅印

今治市別名端谷Ⅰ遺跡出土の銅印(縦3.0cm、横3.0cm、高さ3.7cm)。奈良―平安時代(8~9世紀)。下は印面。県歴史文化博物館保管。
 現在の私たちの暮らしにおいて欠かすことのできないものの一つに印(いん)がある。日本で発見された最も古い印は、57年に漢の皇帝が委奴国王に授けたとされる福岡県の志賀島で発見された「漢委奴国王」の金印である。701年の大宝律令の成立以降、中国の影響を受け、公式な文書に必要な印の種類や寸法などが規定された。
 この時代の印には官印(かんいん)と私印(しいん)があるが、今回紹介するのは今治市別名の別名端谷(べつみょうはしだに)Ⅰ遺跡の発掘調査で出土した青銅製の私印である。
 手でつまむ鈕(ちゅう)の部分が花の莟(つぼみ)のような形で、紐(ひも)などを通したと思われる穴がある。印面には「倉正私印(そうしょうしいん)」と判読できる4文字が刻まれている。一般的に4文字私印の場合「氏名の一部+私印」が印面に使われることが多く、この銅印の「倉正」は、これを所持していた人物の氏名を示している可能性が高いと考えられる。
 また、別名端谷Ⅰ遺跡では、古代の7基の鍛冶炉や大型の井戸が見つかっており、鉄製品の生産や加工を専門に行う鍛冶工房が存在していたことが明らかになっている。ここでは銅印の他にも円面硯(えんめんけん)という古代の硯(すずり)や文字が刻まれた土器が出土しており、識字層の存在がうかがえる。これらのものが見つかったことは、当時、この地域で、役人の管理の下に鉄製品が生産されていたことが推察される。他にも同遺跡周辺では、別名寺谷Ⅰ遺跡をはじめ、古代の鍛冶炉や製鉄炉が見つかっており、今治平野における鉄生産の中心地であった可能性も指摘されている。
 古代の印は、出土品のほか伝世品、鋳型や土器に押されたものなどを含め、全国で250例ほど確認されているが、本資料は、愛媛県内において出土した唯一の銅印で、古代伊予の歴史を解明する上で重要な価値を持つものである。

(専門学芸員 亀井 英希)

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