調査・研究えひめの歴史文化モノ語り

第144回
2023.7.1

室内用 布地に油絵描く

松田博愛堂の薬看板

(上)ヒラミン・六神丸の看板=県歴史文化博物館蔵
(下)松田博愛堂のトレードマーク・日の丸トンボ
 今回紹介する資料は、1904(明治37)年に温泉郡粟井村(現松山市)で創業した製薬会社・松田博愛堂の薬の看板である。商品は「脳を害せぬ熱さまし ヒラミン」と「總本家松田 六神丸」。ご存じの方も多いかもしれない。
 「製剤本舖 松田博愛堂」と「特約店 吉田薬房」とあるように、松田博愛堂が製剤する薬(ヒラミン・六神丸)の販売を許された吉田薬房に掲示されていた看板と考えられる。裏面には「岡山県吉備郡惣社町」と吉田薬房の所在地が記載されており、県外でも広く販売されていたことがわかる。
 松田博愛堂は現在の松田薬品工業(松山市)であり、創業者は松田喜三郎という人物である。彼は、日露戦争に衛生兵として出兵した際に軍医から薬品の指導を受け、その経験を生かし1908(明治41)年から製薬を開始する。
 喜三郎は、ドイツからアミノピリミン(鎮痛解熱剤)等の薬を輸入し、感冒(風邪)薬として解熱鎮痛剤ヒラミンを製造することに成功した。1918(大正7)年から翌年にかけて、第1次世界大戦さなかのヨーロッパから世界中に広がったスペイン風邪が大流行した際は、胃に負担をかけない薬として売れ行きが伸び、全国的に知られることとなった。
 本資料は、中央に富士山、手前に穏やかな湖に浮かぶ帆船、周囲に松林とひっそりと立つ民家が淡い色合いで描かれている。描いた人物のサインなどはなく、中央上部には「TRADE●MARK」とあり、●箇所には松田博愛堂のトレードマークである日の丸トンボが確認できる(写真下)。明治から昭和にかけて主流であった野外用のホーロー看板と比較して、松田博愛堂の看板は布地に描かれた油絵となっており、室内向けであったと考えられる。松田博愛堂の薬を販売することが許された各地の特約店では、丁寧に描かれた油絵の看板が多くの人の目を引き付けたことだろう。

(主任学芸員 甲斐 未希子)

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