往時の姿 立体的に表現
甘崎城イラスト
- 著作(作画):香川元太郎氏、監修:中井均氏、「歴史群像」102号(学研パブリッシング、2010年)初出、県歴史文化博物館蔵
歴史復元イラストなどで知られる香川元太郎氏(松山市出身)が描いた、甘崎城(今治市上浦町)のイラスト。
かつて、瀬戸内海の沿岸や小島には多くの城が築かれており、大三島東岸約200m沖に浮かぶ小島(古城島)全体を城郭化した甘崎城もその一つ。南に急流の鼻栗瀬戸、北に安芸国(広島県西部)との国境を望むという、芸予諸島の要衝に位置する海城であった。戦国時代末期には来島村上系の村上吉継の城だったが、関ヶ原合戦後に東予にも知行地を得た藤堂高虎が、安芸福島領の警戒や芸予諸島の要衝管理のため支城として改修、島の周囲に石垣を巡らせ瓦葺(ぶ)きの建物を築くなど近世城郭化した。
1691(元禄4)年に江戸へ参府する際に当地を通過したドイツ人医師ケンペルらも、海にそびえる石垣を目にしている。現在でもその痕跡は部分的に残っており、満潮時には水没しているが、干潮時には姿を現す。
本イラストは、近世初頭の藤堂時代の様子を推定復元している。島を取り巻く石垣、枡形虎口(ますがたこぐち)とされる場所には櫓門(やぐらもん)、角(かど)の部分には櫓、丘陵上には館を瓦葺きで描いている。
甘崎城の往時の姿は、江戸時代の絵図によってある程度推定することができる。ちなみに、甘崎城の絵図には宇和島城や松前城と誤認したものがいくつもあり、混乱が見られるので、利用の際には注意したい。宇和島城と誤認した絵図の一例は当館でも所蔵しており、以前本連載で紹介した。
こうした絵図は、城の平面的な情報しか伝えていない。しかし、日本城郭史学会委員をつとめる香川氏が歴史学の研究成果や専門家とも協力した考証を交えながら描いた復元イラストによって、甘崎城の往時の姿は立体的にビジュアル化され、リアルにイメージすることができる。また、イラストは細部まで緻密に描き込まれている。原画を隅々まで観察すれば、香川作品を一層楽しむことができる。
かつて、瀬戸内海の沿岸や小島には多くの城が築かれており、大三島東岸約200m沖に浮かぶ小島(古城島)全体を城郭化した甘崎城もその一つ。南に急流の鼻栗瀬戸、北に安芸国(広島県西部)との国境を望むという、芸予諸島の要衝に位置する海城であった。戦国時代末期には来島村上系の村上吉継の城だったが、関ヶ原合戦後に東予にも知行地を得た藤堂高虎が、安芸福島領の警戒や芸予諸島の要衝管理のため支城として改修、島の周囲に石垣を巡らせ瓦葺(ぶ)きの建物を築くなど近世城郭化した。
1691(元禄4)年に江戸へ参府する際に当地を通過したドイツ人医師ケンペルらも、海にそびえる石垣を目にしている。現在でもその痕跡は部分的に残っており、満潮時には水没しているが、干潮時には姿を現す。
本イラストは、近世初頭の藤堂時代の様子を推定復元している。島を取り巻く石垣、枡形虎口(ますがたこぐち)とされる場所には櫓門(やぐらもん)、角(かど)の部分には櫓、丘陵上には館を瓦葺きで描いている。
甘崎城の往時の姿は、江戸時代の絵図によってある程度推定することができる。ちなみに、甘崎城の絵図には宇和島城や松前城と誤認したものがいくつもあり、混乱が見られるので、利用の際には注意したい。宇和島城と誤認した絵図の一例は当館でも所蔵しており、以前本連載で紹介した。
こうした絵図は、城の平面的な情報しか伝えていない。しかし、日本城郭史学会委員をつとめる香川氏が歴史学の研究成果や専門家とも協力した考証を交えながら描いた復元イラストによって、甘崎城の往時の姿は立体的にビジュアル化され、リアルにイメージすることができる。また、イラストは細部まで緻密に描き込まれている。原画を隅々まで観察すれば、香川作品を一層楽しむことができる。
(専門学芸員 山内 治朋)
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