鉄器生産の最先端技術
法華寺裏山古墳出土の鞴羽口と鉄製農具
- 鞴の羽口(左)と鉄製農具(右)=いずれも古墳時代後期、法華寺裏山古墳出土。県歴史文化博物館保管。
古墳時代後期(6世紀)の古墳の横穴式石室からは、須恵器、土師器、武器、武具、鉄製農工具、装身具などさまざまな副葬品が出土する。今回紹介する鞴(ふいご)の羽口(はぐち)は、古墳に副葬されることがあまりない鉄生産に関連する道具である。鞴とは、鉄器生産の際、鍛冶炉に風を送る道具であり、羽口は鞴の送風管の先に付けられた土製品である。
これらの遺物が出土した法華寺裏山古墳(今治市桜井)は国道196号今治バイパスの建設に伴い、1991年から翌年にかけて、鋏又(さすまた)古墳群の5基の古墳の一つとして発掘調査が行われた。墳形は明確ではないが、径約12m前後の円墳と考えられる。内部主体は、九州系(特に福岡県宗像地域)の特徴を有する横穴式石室で、この古墳群では同様の特徴を持つ横穴式石室が採用されている。現在のところ、今治平野において横穴式石室が導入され始めた時期のものと想定している。副葬品には、須恵器、武器、農工具、耳環(じかん)、玉類など約150点がある。
ここで注目されるのが鞴の羽口が副葬されている点である。現時点で、県内では、本古墳以外では鞴の羽口が副葬された事例は確認されていない。また、本地域の近隣では鉄生産に関する遺跡も確認されていない。
鞴の羽口の残存長は9.4cm。半分に割られて、石室の玄門付近で出土している。同じ今治平野北部の数箇所の遺跡に加え、南に位置する道前平野北部の遺跡でも、鉄滓(てっさい)や砥石(といし)とともに鞴の羽口が出土しており、鉄生産との関連が示唆される。
そして、この古墳は、燧灘から直線距離で1.5km西に位置する。鉄製農工具も副葬されていることから、身近な「海」を介して、この地域に当時の手工業生産の中で最新技術とされる鉄生産とともに、新しい墓制である「横穴式石室」をいち早く導入した古墳造営集団が存在していたことを想定することができる。
10cm前後の土製の道具から、約1400年前のハイテクとともにそれに関わった集団に思いをはせていただければ幸いである。
これらの遺物が出土した法華寺裏山古墳(今治市桜井)は国道196号今治バイパスの建設に伴い、1991年から翌年にかけて、鋏又(さすまた)古墳群の5基の古墳の一つとして発掘調査が行われた。墳形は明確ではないが、径約12m前後の円墳と考えられる。内部主体は、九州系(特に福岡県宗像地域)の特徴を有する横穴式石室で、この古墳群では同様の特徴を持つ横穴式石室が採用されている。現在のところ、今治平野において横穴式石室が導入され始めた時期のものと想定している。副葬品には、須恵器、武器、農工具、耳環(じかん)、玉類など約150点がある。
ここで注目されるのが鞴の羽口が副葬されている点である。現時点で、県内では、本古墳以外では鞴の羽口が副葬された事例は確認されていない。また、本地域の近隣では鉄生産に関する遺跡も確認されていない。
鞴の羽口の残存長は9.4cm。半分に割られて、石室の玄門付近で出土している。同じ今治平野北部の数箇所の遺跡に加え、南に位置する道前平野北部の遺跡でも、鉄滓(てっさい)や砥石(といし)とともに鞴の羽口が出土しており、鉄生産との関連が示唆される。
そして、この古墳は、燧灘から直線距離で1.5km西に位置する。鉄製農工具も副葬されていることから、身近な「海」を介して、この地域に当時の手工業生産の中で最新技術とされる鉄生産とともに、新しい墓制である「横穴式石室」をいち早く導入した古墳造営集団が存在していたことを想定することができる。
10cm前後の土製の道具から、約1400年前のハイテクとともにそれに関わった集団に思いをはせていただければ幸いである。
(専門学芸員 冨田 尚夫)
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