調査・研究えひめの歴史文化モノ語り

第162回
2024.3.23

類例なし 浜提で使用か

南吉田南代遺跡の古式土師器

(左)古式土師器 (右)黒色化した古式土師器低脚高坏(古墳時代初頭)=県教育委員会蔵
 考古学では類似した資料を探せば、日本全国のどこかの遺跡で出土事例があるのが通例である。しかし、今回紹介する黒色化した古式土師器低脚高坏(こしきはじきていきゃくたかつき)=写真右、口径13.6cm=は、現在のところ、類例がなく、展示する際に解説文を書くのが、非常に難しかった。
 本資料は、(2024年)2月24日に開通した松山外環状道路空港線に伴う発掘調査で、2016年に南吉田南代(みなみだい)遺跡2次調査(松山市南吉田町)で出土した。同遺跡では、地表下約4m付近の深い場所にある環境変化の少ない湿潤な土壌から、弥生時代終末期から古墳時代初頭にかけての土器群が、良好な状態で出土している。また、海岸部に暮らした人々の生活を示す製塩土器や漁網に付けるおもり(石錘=せきすい、土錘=どすい)もわずかであるが出土している。
 黒色化した古式土師器は外面にミガキ調整を施し、非常に精緻に作られた土器である。自然科学分析の結果、通常より高温で焼成されたことが指摘されている。黒色土師器と呼ばれる土師器が関東地方を中心に出土しているが、本資料はその範疇(はんちゅう)には入らない。何人かの研究者に聞いたところ、朝鮮半島にルーツを持つ焼成技法の可能性があるという回答を得た。なお、写真左の黒色化していない土師器は同じ土層の約50m離れた場所から出土したもので、器形はほぼ同じである。
 松山空港近くの本遺跡周辺は、沖積低地が広がり、この発掘調査が行われるまでは、遺跡の空白地帯であった。調査担当者は、地理的環境を復元する中で、当地域周辺は海岸線沿いの堆積物が形成した浜堤(ひんてい)の一部であることを想定している。浜堤に暮らした人々が使った土器にこのような類例のない土器があったと想定される。
 本道路の建設に伴い発掘調査が行われた部分は、限られた面積である。今後、周辺での発掘調査や、国内の類似した地形のある場所で同様な土器が発見されることを期待したい。日本各地で発掘調査が行われているが、類例を探すことが難しい事例、逆に言えば、遺跡にはまだまだ新しい発見が眠っているということを知っていただければ幸いである。

(専門学芸員 冨田 尚夫)

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