調査・研究えひめの歴史文化モノ語り

第163回
2024.4.13

子ども力士 円陣で踊り

南予の相撲練り

八幡浜市保内町楠町の相撲練りの衣装(県歴史文化博物館蔵)
 相撲は日本古来の伝統的競技である。現在では国技館等で行われる「大相撲」が有名だが、元来「競技」であるとともに、豊作祈願や除災招福の「神事」としての側面も持っている。
 相撲の起源を紹介する「日本書紀」垂仁天皇紀には、野見宿禰(のみのすくね)と当麻蹶速(たいまのけはや)の相撲が相手をつぶす程の力強い足踏みであったことが記されているが、四股(しこ)も、語源は醜足(しこあし)の略語で、踏みつけることによって邪霊を退散させ、安穏を得る意味があった。この呪的な動作が相撲の神事的要素の根本であり、後にさまざまな祭りや民俗芸能に相撲が取り入れられる要因ともなった。
 県内の民俗行事の中にもさまざまな神事相撲が伝承されている。有名な行事としては今治市大三島町の大山祗神社「一人角力(ひとりずもう)」(旧暦5月5日、9月9日)、宇和島市吉田町の八幡神社秋祭(11月3日)の「卯之刻(うのこく)相撲」、そして西予市野村町の「乙亥大相撲」(11月下旬)があり、子どもが行う神事相撲も各地で行われている。
 それ以外に、南予地方の神社祭礼の練り行列の一つに組み込まれている「相撲練り」もしくは「相撲甚句」と呼ばれる民俗芸能も愛媛独特の文化である。写真は八幡浜市保内町楠町で受け継がれている相撲練りの衣装である。化粧まわしをつけた8~12人の子ども力士が円陣を組み、立行司の語る文句に合わせて踊るもので、演じる者は小学生が多い。神社の境内や御旅所で相撲を取ったり、祭礼の練り行列に加わったりする芸能は大洲市西部から愛南町までの各所で継承されている。旧宇和島藩・吉田藩領内の分布が中心であるが、旧大洲藩領内にも見られる。
 宇和島市三浦では、1844(天保15)年に相撲練りが始まっていたとされ、西予市宇和町下松葉には1848(嘉永元)年に調達した墨書の残る力飯を入れる飯櫃(めしびつ)=県歴史文化博物館保管=が伝存しており、江戸時代後期から末期には南予地方各地で相撲練りが伝播(でんぱ)していたことが確認できる。
 大相撲のかつての横綱前田山英五郎、大関朝汐太郎(八幡浜市出身)、そして元関脇玉春日(西予市出身)など、相撲練りが伝承されている地域から名力士が誕生している。幼い頃から地域に根ざした相撲文化に触れていたことも関係しているのかもしれない。

(専門学芸員 大本 敬久)

※八幡浜市保内町楠町の相撲練りの衣装は民俗展示室1で展示中。

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