調査・研究えひめの歴史文化モノ語り

第165回
2024.5.5

交通の発展背景 細密に

四国霊場豫州太山寺全図

太山寺を細密に描いた絵図(縦41.5cm、横50.5cm、県歴史文化博物館蔵)
部分拡大(本堂周辺)
 本図は参詣者でにぎわう四国八十八カ所霊場第52番札所の太山寺(松山市太山寺町)とその周辺を鳥瞰(ちょうかん)図のスタイルで細密に描いた銅版絵図である。
 左下の刊記によると、1897(明治30)年の発行で、著作発行兼印刷者は京都市下京区の遠山秀弁とある。また、右下には方形枠の内側に「京都 百峰筆」の銘が記されていることから、本図は太山寺が京都の銅版画絵師に依頼して作成したものと考えられる。
 絵図の右上には「太山寺略縁起」を掲載し、本尊十一面観音が霊像であること、豊後国(大分県)の真野長者(まののちょうじゃ)が一夜で本堂を建立した伝説など、寺の由緒が記されている。本図の左上、ひときわ大きな建物が本堂(鎌倉時代建立、国宝)である。本堂を中心に、護摩堂、太子堂、大日堂、鐘楼、茶堂、山門、大師堂、七層塔などが位置する。
 本堂に至る長い参道に目を転じると、境内入口から順に一ノ門、仁王門(重要文化財)、方丈(現在の納経所)、茶屋、子安観音、不動堂などが確認できる。茶屋では遍路の休憩、宿泊、接待などが行われた。また、太山寺の周辺部には、背後の三ケ森(経ケ森・護摩ケ森・岩ケ森)、瀬戸内海に浮かぶ伊予の小富士(興居島)、高浜港、高浜港から太山寺へ通ずる山越えの遍路道(高浜越)、伊予鉄道の蒸気機関車、通称「坊っちゃん列車」が走る姿、三津浜方面からの遍路道(地蔵坂)、新浜塩田なども描き込まれている。
 松山の海の玄関口である高浜・三津浜港は、広島、山口、北九州方面などからの遍路に利用され、上陸港近くに位置する太山寺は、四国遍路における最初に巡拝する打ち始めの札所としてもにぎわった。
 本図は明治以降の松山の海陸交通の発展を背景に、太山寺の伽藍(がらん)や広い境内の細部、上陸港周辺の様子など、近代以降の太山寺の姿が見事に描かれ、四国霊場の札所絵図の中でも秀逸な絵図といえる。

(専門学芸員 今村 賢司)

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