伊予国全域網羅の地誌
「愛媛面影」
- 伊予国全域を網羅した初の本格的地誌「愛媛面影」(縦25cm、横30cm)=1869年刊行、県歴史文化博物館蔵
1869(明治2)年に刊行された「愛媛面影」(木版墨刷、5巻5冊)は、伊予国全域を対象とした初の本格的地誌である。作者は今治藩医・国学者の半井梧菴(なからい・ごあん)。折しも今年(2019年)は本書の刊行150周年にあたる。
本書の内容は、古代に置かれた伊予国14郡ごとに、郡内各地の石高、社寺、山川、城、町、名所旧跡、物産などについて、数多くの引用書物を挙げて、和文体で詳しく書かれており、梧菴の学識の豊かさを示している。
収録する図版は、江戸時代後期に流行した名所図会の様式にならい、愛媛の名所旧跡、宝物、産物などが克明に記録されている。その多くは現地で実景や実物の写生をもとに描かれている。絵師は小松藩の林涛光(とうこう)と、風景画を得意とした大坂の松川半山(はんざん)が担当した。近世後期~幕末期の伊予国の姿を記録した絵画資料としても貴重で、本書の史料的価値は高い。
1866(慶応2)年の梧菴の自序によると、本書の編さんはすでに幕末期には着手していることがわかる。さらに、編さんの動機について梧菴は、奈良時代に元明天皇の詔により、各国の事情を記して提出させた風土記のうち、「伊予国風土記」が失われていることを残念に思い、自らがそれに代る新たな「伊予国風土記」を編さんし、後世に伝えたいと述べている。本書の名称も日本最古の歴史書「古事記」に「かれ伊予国を愛比売(えひめ)といふ」ことから命名されている。
廃藩置県を経て、1873(明治6)年2月20日に愛媛県は誕生する。県名「愛媛」は、本書の名前から採用したとする説があり、「愛媛面影」の作者・半井梧菴は「愛媛」の名付け親ともいわれている。
本書の内容は、古代に置かれた伊予国14郡ごとに、郡内各地の石高、社寺、山川、城、町、名所旧跡、物産などについて、数多くの引用書物を挙げて、和文体で詳しく書かれており、梧菴の学識の豊かさを示している。
収録する図版は、江戸時代後期に流行した名所図会の様式にならい、愛媛の名所旧跡、宝物、産物などが克明に記録されている。その多くは現地で実景や実物の写生をもとに描かれている。絵師は小松藩の林涛光(とうこう)と、風景画を得意とした大坂の松川半山(はんざん)が担当した。近世後期~幕末期の伊予国の姿を記録した絵画資料としても貴重で、本書の史料的価値は高い。
1866(慶応2)年の梧菴の自序によると、本書の編さんはすでに幕末期には着手していることがわかる。さらに、編さんの動機について梧菴は、奈良時代に元明天皇の詔により、各国の事情を記して提出させた風土記のうち、「伊予国風土記」が失われていることを残念に思い、自らがそれに代る新たな「伊予国風土記」を編さんし、後世に伝えたいと述べている。本書の名称も日本最古の歴史書「古事記」に「かれ伊予国を愛比売(えひめ)といふ」ことから命名されている。
廃藩置県を経て、1873(明治6)年2月20日に愛媛県は誕生する。県名「愛媛」は、本書の名前から採用したとする説があり、「愛媛面影」の作者・半井梧菴は「愛媛」の名付け親ともいわれている。
(専門学芸員 今村 賢司)
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